MAGAZINE マガジン

【先端人】ティア 代表取締役社長冨安徳久

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

「ありがとう」を紡ぐ、おくりびと

(企業家倶楽部2008年8月号掲載)

「葬儀ビジネスは私の天職です」と言い切るおくりびと・冨安徳久。「不透明な葬儀業界を明らかにしたい」という思いを胸に、1997年葬祭業のティアを設立。葬儀を「命の尊さを知る、究極の感動サービス業」と捉え、質の高いサービスを追求する。2006年には、名証セントレックスに上場。アカデミー賞受賞映画「おくりびと」を追い風に、冨安は日々「ありがとう」を紡いでいる。目指すは、日本で一番「ありがとう」といわれる葬儀社だ。(文中敬称略)


天職と出会い大学への入学をやめる

「人のために尽くしたいと思っていますか」。葬儀ビジネスのティア社長、冨安徳久は会社説明会で学生たちに問いかける。葬儀は人の死を明らかにする儀式。ティアの役目は、悲しみの究極の場面に立ち会う遺族に、故人への感謝を思い起こしてあげることだ。「全国から出店依頼の手紙が来ている。東名阪を軸に、いずれは全国の政令指定都市に進出したい」と冨安は語る。

 1997年に名古屋市で会社を立ち上げ、葬祭業の理想を社員と社会に浸透させるため力を注いできた。従来の半分の価格設定や値決めの透明性の追求など利用者視点のサービスで需要を開拓し、2006年6月名証セントレックスに上場。中部圏初の葬祭上場企業となり、08年9月名証第二部に市場変更。08年9月期の売上高は前の期比11%増の約58億円、会員も12万人に達した。創業以来の増収基調が続く。目指すは、日本で一番「ありがとう」といわれる葬儀社だ。

「葬儀ビジネスは自分の天職だ」と言い切る冨安。この仕事に惚れこんだきっかけは学生時代のアルバイト。合格した山口大学経済学部の入学式まで残り2週間、破格の時給に引かれて始めた。ところが、料金を受け取る先輩社員に顧客の方が頭を下げる光景に魂がふるえた。「心の底から『ありがとう』と感謝されながら、お金を受け取る仕事が他にあるだろうか」。一念発起した冨安は、山口大学への入学をやめ、18歳で葬儀社の社員となる。親には黙っての入社だった。

ティア熱田

生涯の師と仰ぐ先輩社員

 悲しみの中、故人を無事に送り出せた時、遺族は心から「ありがとう」と礼を言う。遺族の悲しみに心を寄せる「おくりびと」の日々は充実していた。ところがある日、腐敗が進んだ遺体に躊躇し、迷いが生じた。見かねた先輩は「きれいごとだけで心から人に感謝されると思っているのか」と叱責した。「自分の目ではなく、遺族の目で故人を見るんだ。自分の最愛の人が亡くなったと思えば、どんな遺体を見ても嫌なものとは思わない」。この一言が人生観を変え、冨安は先輩に追いつきたい一心で走り続けた。

 20歳の時、父の余命がいくばくもないと報せが入る。退職を決意し、急ぎ故郷の病院に駆け付けつけるが、父の様子を見ると末期がんとは思えない。「ここまでしないと、帰ってこないから」。手術も成功し、ほとんど問題のない予後だったが、2年間も仕事を黙っていた冨安に家族が一計を案じたのだ。これを機に、地元の名古屋市の葬儀互助会に転職。

「葬儀の仕事の社会性を高めたい」と思い、日々一生懸命仕事をしていた。しかし、葬儀社に勤めていたため、付き合っていた彼女と別れたことがある。21歳の時、数年付き合っていた女性との結婚を決意し、その家族に挨拶に出向いた。談笑する中、「何の仕事をしているの」と尋ねられ、「葬儀の仕事をしています」と自信を持って答えた。すると、あからさまに態度が変わり、結婚を反対された。「そんな仕事をしているやつに娘はやれない、どうしても結婚したいならブライダルの仕事に変えなさい」とまで言われた。「大好きな仕事をやめられない」。結局、彼女とは別れた。「誇りを持ってやっている仕事を否定され、本当に悔しかったのを覚えている」と振り返る。

 その後、担当した遺族からの紹介で、現在の妻と出会った。きっかけは、葬儀を終えたあとの集金での遺族の一言。「本当にありがとう、君はまだ若いのに感心だ。素晴らしい仕事をしているね。結婚する気はないのか」と問いかけられ、娘さんを紹介された。それが冨安の職業を理解する今の妻。「全ての出会いは縁によって成り立っている」と言う。

 25歳で支配人となった冨安。その名刺を見せたい一心で、かつて叱責してくれた先輩の家を訪ねた。しかし、再会を果たしたのは仏壇に飾られた先輩の遺影。「何の恩返しもできなかった」。悔やむ冨安に、先輩の妻が「夫が生きていたら、あなたにこう言うと思う。『俺がお前に教えたことを、そのまま次の世代に伝えてくれ』と」。その声は生前の先輩の声のように冨安には聞こえた。

ティアの生花祭壇「ガーベラ」

「遺族の目」で信念を貫く

「利益の出ない生活保護者の葬儀は取り扱わない」。会社が打ち出した新方針に対し、冨安は異議を唱えた。「人の死を差別することは許されない」。揺るぎない信念は会社の方針と折り合わず、同業他社の年俸契約社員となって起業を目指した。

 ただ、独立には葬儀会館の開設などにまとまった資金が必要だ。異業種交流会などに参加して出資を呼び掛けたが、葬祭ビジネスと聞いた途端にほとんどの相手は態度を変えた。時には名刺を受取られなかったこともある。遺族に頼られる葬儀社も、世間一般では煙たがれる存在だと痛感した。「好きな仕事の社会性を高めたい」。独立への思いは日に日に高まった。

 そんなある日、友人の紹介でプロトコーポレーション社長の横山博一(現会長)と出会った。開口一番、「どんな葬儀ビジネスやりたいの」と問う横山に、葬儀業界への思いを語った。「不透明な価格帯を明らかにしたい」。共感した横山は出資を決意。冨安の貯金も合わせ、最終的には約5000万円が集まった。

 それを手に、冨安は地主を訪ねて回った。「葬儀会館に土地は貸せない」。次々に断れる中、人気の少ない元火葬場の駐車場を見つける。「この地で葬儀会館を建てて供養したい」。冨安は地主を訪ねるが、なんと地主の先代の名前が「富久」。縁を感じた地主は建設を約束、第一号店「ティア中川」が開業した。「ティア」という社名には、「ひとしずくの涙の尊さ」を心から感じ、悲しみの涙を少しでも和らげてあげたいという思いを込めた。

従来の半分に価格を設定

「消費者のための葬儀社」をテーマに掲げ、自ら一日4万歩、雨の日も風の日も理念営業に飛び回った。当時、中部圏の葬儀価格は平均300万円。対して、ティアが打ち出したのは約150万円。土地や建物を借り受け、小型の葬儀会館を集中出店することで初期投資を大幅に抑えた。さらに、葬儀のセット料金の明細を写真入りで記載したチラシも配布。「料金の透明性を高めたい」という狙いだったが、同業他社からは悪質な嫌がらせを受けた。

 喪家の案内看板を逆方向に変えられたり、「こんな安い値段でやるな、夜道に気をつけろ」といきなり怒鳴られたこともある。当時小学生だった冨安の息子に対して、「おまえの親父、ぶっころすからな」と自宅に脅迫電話がかかってきたこともあった。利用者の感謝の声が支えだった。

 価値あるリーズナブルな価格設定で成長を続けるティア。その魅力は社員一人ひとりへの経営理念の共有にある。

「サービスを左右するのは付加価値ではなく感謝の心」と冨安。ティアでは、感動のサービスを提供するために本気で故人を思う。例えば、亡くなった故人が子供を抱く姿や家族旅行の写真をロビーに飾り、故人の姿を思い起こさせる場面を作り出す。担当者は遺族の悲しみを他人事と思わず、「仕事には慣れよ、悲しみには慣れるな」を心がけている。

 冨安が大切にしている言葉が故松下幸之助の著書「経営者の条件」に刻まれていた「公憤」だ。私の感情で腹を立てることは好ましくない。しかし公の立場で、これは許せないということに対しては大いなる怒りを持たなくてはいけない。冨安は、遺体の前で遺産相続を争う遺族をたしなめたことがある。「遺言には、遺産についての記載が多い。しかしそれ以上に大切なのは、次の世代にその人の生き様や教えをしっかり伝えること」と語る。

命の大切さを伝える伝道者

 消費者からの支持を集めるティアは09年9月期、売上高65億円、経常利益4億6000万円の増収増益を見込む。葬儀業界は、2005年以後2040年まで死亡者人口の増加が予想されており、市場全体は拡大傾向だ。死に接する中で冨安は、死をしっかり見つめている程、生を充実させられると感じている。

「一週間後に死ぬかもしれないと考えれば、今を精一杯生きます。未来を考えずに生きていることは、人生を生きていることになりません」

 現在、冨安は48歳。だが、創業時から後継者の育成を重要項目にしてきた。

「死は突然に訪れるもの」と受け止め、遺言も用意している。さらに、ティアの理念がぶれることのないよう、自らの講演を録画している。

「後継者作りは期限を決めておくことが大事。期限を設定して本気にならないと後継者は育ちません」

 命の大切さを伝える伝道者として、冨安は「経営も人生も、全て感謝あってのもの」と話す。今日も「ありがとう」を紡ぎ、次代のおくりびとを育てている。(土橋克寿)

■ Profile■
冨安徳久(とみやす・のりひさ)
1960年、愛知県宝飯郡一宮の果樹園農家の長男に生まれる。79年、大学の入学式直前、葬儀アルバイトに感動して大学を捨て18歳で葬儀屋業界に入る。81年、父親の病気のため愛知県に帰り、東海地方の大手互助会に転職。葬儀会館の店長に25歳で抜擢される。94年、生活保護者の葬儀を切り捨てる会社の方針に納得できず、同業他社の年俸契約社員となって独立をめざす。97年、株式会社ティア設立。1号館「ティア中川」をオープン。適正料金を完全開示するという業界革命を起こす。06年、「設立10年で株式上場」計画を1年前倒しで実現。名証セントレックスに上場。中部圏初の葬祭上場企業となる。08年、名証第2部に市場変更。
https://www.tear.co.jp/

一覧を見る