MAGAZINE マガジン

【二十一世紀の日本人】日本経済新聞社参与 吉村久夫

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

日本は希望の新天地だった

(企業家倶楽部2012年10月号掲載)

日本人とはいったい何か 

米国の有名なノーベル賞作家ジョン・スタインベックに『アメリカ・アンド・アメリカンズ』という著作がある。1966年に出版され、2年後にはペーパーバック(新書版)にもなった。1969年に新聞社のニューヨーク特派員になった私は、この本を読んで大きな刺激を受けた。

 そして私なりに米国人がいかにして育成されるかを知りたいと思い、学校その他を取材して『新しいアメリカ人』という企画記事(1971年、朝刊1面10回)を書いた。その取材途中、アトランタの黒人大学で「いずれ黒人大統領が誕生する」というスピーチを聞いた。38年後、その予言が実現した。

 帰国した私はいずれ『新しい日本人』という企画記事を書きたいと思っていた。二十一世紀へ向けて、どんな日本人が育っていくか知りたかったのである。残念ながら、目先の仕事に追われ、ついに実現しないで今日に至った。時評二十一世紀は「落とし穴」「生き方」と続けてきたが、今回シリーズの最後に「日本人」を取り上げさせてもらうことにしたのは、永い宿題への挑戦である。
 
日本は恵まれた国土

 日本の国土の広さは世界で61番目である。それでもドイツよりは大きい。しかも、弓のように長い。したがって、領海が広い。日本の領海は世界で6番目の大きさである。日本は決して小国ではない。海洋国家としては大国である。

 日本は地形の変化に富み、かつ四季に恵まれている。生物の種類に富み、とりわけ水産資源が豊かである。世界の3大漁場の一つでもある。鉱物の種類も多く、ひところは鉱物の博物館ともいわれた。世界に冠たる産金国でもあった。これから海洋資源の開発も進む。日本は資源国でもある。

 日本は山紫水明の国である。明治時代、論客で探検家でもあった志賀重昂は『日本風景論』で日本の自然美を讃えた。一方、キリスト教思想家の内村鑑三は『地人論』で日本の各地を欧州各国になぞらえて、その個性の豊かさを指摘した。この二人は『武士道』を書いた新渡戸稲造とともに、札幌農学校の出身である。

 もちろん、日本は地震国である。風水害に襲われることも多い。しかし、総体的に恵まれた土地であり、特に狩猟、漁労、水田耕作にはもってこいの土地であった。太古の人々にとっては希望の土地だったのである。
 
日本はアジアの米国

 日本列島がアジア大陸と陸続きであった頃から、人々はマンモスを追いながら、希望の土地日本へ移住してきた。そして豊かな堅果物、濃い魚介類を満喫した。そのことを青森の三内丸山遺跡が雄弁に物語っている。

 石器時代人の後には縄文人がやってきた。縄文人の後には弥生人がやってきた。次第に混血が進み、原始時代から日本に住み着いた人達と渡来人との区別がつかなくなってきた。大和政権が生まれ、征夷大将軍が任命され、次第に全国を統一していった。日本国の誕生である。

 歴史人口学によると、縄文時代に20ー30万人だった日本の人口は弥生時代になると50ー60万人となり、奈良時代になると500ー600万人へと急増したと推計されている(『人口から読む日本の歴史』鬼頭宏著、講談社学術文庫)。

 人口が急増したのは人を養う力の大きい稲作の普及である。いま一つは、稲作および関連技術をもたらした渡来人の急増である。これらの人達は自ら進んで新天地を求めてきた人達であり、同時に故国の戦乱を逃れてきた人達でもあった。

 太古以来、人々は北から西から南から、その時々の事情に応じて波状的に日本へ移住してきた。日本は彼らの新天地だったのである。つまり、日本はアジアのアメリカだったのであり、アメリカと同じように、多民族社会だったのである。
 
単一民族化への道

 ではなぜ、一般に日本は単一民族国家だと考えられてきたのだろうか。それは歴史的に単一民族化が進んできたからである。その主な理由は次のようなものである。

 まず第一に、日本を形成した渡来人たちが、故国、経緯は違っても、基本的にアジア系の人たちだったことである。

 第二に、中世以降、大量の移民はみられなくなったことである。外敵の侵入も蒙古の襲来を除けば、あっても例外的なものだった。

 第三に、同化策が進んだことである。大和政権の国家統一策は、聖徳太子の十七条の憲法が示すように「和」を第一としていた。

 第四に、婚姻、混血が進んだことである。それを徹底したのがは江戸時代の鎖国政策だった。

 日本列島内で婚姻が繰り返された結果、日本人は先祖をたどっていけば、皆縁戚という関係になった。両親の数を倍々ゲームで数えていけば、数百年もさかのぼればその数は当時の日本の総人口を上回ってしまうのである。

 日本の姓は様々だが、元をたどっていけば源平藤橘の代表的な四姓につながっていく。その四姓は姓を持たない天皇家につながっている。なんのことはない。日本は天皇家を頂点とする一家族的社会なのである。

 本来、多民族国家だった日本は単一民族化する過程で、天皇制という国体を創り出した。これは世界的にユニークな社会システムである。その結果、日本は単一民族国家だという考えが広まった。
 
再び多民族へ回帰
 グローバル化が進み、宇宙船地球号の時代となった。日本は島国で単一民族国家だから、十分な貢献ができないのではないかと心配する向きがある。確かに、沖縄の基地問題に見る政治家の外交音痴ぶりや、外交官までが海外赴任をいやがるといった内向きの話を聞くにつけ、そうした心配も無理はないかと思えてくる。

 しかし、自由化やグローバル化は避けて通れない世界の趨勢である。日本は積極的に参画して、その行き過ぎをチェックする責任がある。資本自由化を乗り切った日本にはTPP(環太平洋経済連携協定)のメリットを十分に享受する力が備わっているはずである。日本は島国かもしれないが、海洋大国なのである。単一民族国家化してはいるが、元来は多民族国家だったのである。

 日本は歴史的な人口減少期に入りつつある。とりわけ、少子高齢化によって生産人口が減少しつつある。そこで企業は海外に進出している。海外で多くの人を雇用している。国内も海外から人々に来てもらわなければならない状態になりつつある。これは古代以来のことである。

 現に街角や駅のホームで、外国語が飛び交うようになってきた。見ると、アジア系の人だけではない。白人も黒人もいる。人種の多様化でいえは、古代以上に多民族化する気配がうかがえる。日本人もそれに慣れて行きつつある。もともと、多民族化のDNAを持っているからである。

 終戦後、私たちは「鬼畜米英」と教わってきた米国兵に親しく「ハロー」と呼びかけた。彼らは気前よく缶詰やチョコレートを配ってくれた。われながら、あさましいとも思える行動だった。日本人は変化に強い。外聞も無く豹変する。良くいえば、柔軟である。

 海洋大国、多民族国の伝統が日本人を変化に柔軟に対応させるのである。日本人は二十一世紀、宇宙船地球号の乗組員として、十分にその能力を発揮して貢献して行くに違いない。また、そうならなければ日本はもちろん、世界も不幸になる。

P r o f i l e 吉村久夫(よしむら・ひさお)
1935 年生まれ。1958 年、早大一文卒、日本経済新聞社入社。ニューヨーク特派員、日経ビジネス編集長などを経て1998年、日経BP社社長。現在日本経済新聞社参与。著書に「本田宗一郎、井深大に学ぶ現場力」「歴史は挑戦の記録」「鎌倉燃ゆ」など。

一覧を見る