会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2016年10月号掲載)
孫正義が3兆3000億円で英ARMを買収した。ARMは“スマホのインテル”のようなもの。ITの最先端の会社をソフトバンクが傘下に収めた。それにしても3兆3000億円は驚きだ。孫正義しか出来ない芸当だろう。恐らく、買収に反対するニケシュ・アローラと対立、アローラが退任したのだろうか。(文中敬称略)
【執筆陣】徳永卓三、三浦貴保、徳永健一、相澤英祐、柄澤 凌、庄司裕見子
ソフトバンクグループ(以下ソフトバンク)が7月18日、英国の半導体の設計・開発を手がけるARMホールディングス(以下ARM)を3兆3000億円で買収すると発表した。
今号はソフトバンク以外の情報企業を紹介する予定だったが、ARM買収やソフトバンク副社長のニケシュ・アローラ退任について、言及する。アローラ退任とARM買収は密接に関連していると思う。
最大の買収
まず、ARM買収から説明して行こう。買収額3兆3000億円はソフトバンクが手がけた最大の買収劇で、日本企業が海外企業を買収したものでも最大規模となる。これまで、ソフトバンクはボーダフォンを1兆7500億円で、スプリントを1兆5000億円で買収したが、それを遥かにしのぐ買収となった。
孫正義が「これまでの買収劇で一番エキサイティングな買収だ」というほどの、企業はどういうものだろうか。
ARMは英国の教育用コンピュータメーカー、エイコーン・コンピュータが源流である。単純な回路と低消費電力が特徴であるCPU(中央演算処理装置)を得意としていたが、米IBMやアップルの台頭によって苦境に陥った。その際、アップルなどがエイコーンのCPU部門に出資、90年に現在のARMが設立された。
現在では、スマートフォン(以下スマホ)やタブレット、ノートパソコンといったモバイル機器の85%に同社のCPUが内蔵されている。スマホに限定すれば、内蔵されている機種は95%にのぼる。いわばスマホ版のインテルといったところだろうか。モバイル端末の普及に伴い、同社の売上は順調に推移しており、2015年12月期には96億8300万ポンド(約1791億円)を売り上げている。
ARM買収について、日本電産会長の永守重信とGMOインターネット会長の熊谷正寿が面白い見方をしていた。永守は「私だったら、3300億円でも買わない。だいたい私はITのことはわからない」と語った。
熊谷はITの会社である。熊谷はARM買収が高いか安いか尋ねると、「私は買いたくても買えない。とても1兆円とか2兆円も銀行は貸してくれない」という。
さらに、資金調達について、熊谷は「12兆円借金していれば、1兆円増えてもそんなに驚かないが、GMOが1兆円借金したら、皆が驚いてしまう」と言った。
ARMを買ったことについては「孫社長なりの計算があったと思う。これまで、アメリカ勢にITでは後れを取っていた。ARMを買収して、アメリカ勢にひと泡吹かせたいとの思いがあったのと違うか」と語った。
孫正義にしてみれば、いつもアップルやグーグルの後塵を拝してきた。この辺でARMを買収して、スマホ分野の最先端を抑え、一矢報いたいと思っても無理はない。
確かに3兆3000億円は高いが、いろんなことを勘案すると、孫正義はチャンスと思ったかも知れない。
ただ、北尾吉孝がソフトバンクの常務時代、キングストンテクノロジーを15億ドルで買って、3年後に4.5億ドルで売ったことがある。その二の舞が起こらないとも限らない。
これは憶測だが、ARM買収とアローラ退任は関係があるように思う。孫正義がARM買収派、アローラが反対派ではなかったか。アローラはアリババ株の売却やスーパーセル、ガンホー・オンライン株の売却で2兆円をつくった。もちろん孫正義も尽力した。問題は2兆円の使い道。孫正義は新たな企業買収を考え、それがARMだった。
一方、アローラは折角つくった2兆円を余剰資金として大事に使おうとしたのではないか。2人の意見が対立し、アローラが退任したのではないか。
孫正義はM&A(企業の合併・買収)の積極派。これまでも、ジフ・デイビス、コムデックスなどを買収して大きくなった。買収することが孫流の経営であり、買収した企業をさらに大きくして、ソフトバンクを拡大、強くしてきた。孫正義はM&Aをしている時が一番生き生きしている。
アローラは反対か?
一方、アローラは欧米仕込みのM&Aには賛成だが、ケースバイケース派。スプリントのこともあり、闇雲にM&Aはしてはならないと思っていた。そこで、アローラが孫正義の方針に反対、退任することになったのではないか。
アローラ退任は日経新聞で報じられた。6月22日の日経一面トップにアローラ退任のニュースが載っており、それによると、孫が60歳を過ぎても社長業を続けることになり、待ちきれないアローラが退任することになった、と書いてある。しかし、これは表向きの理由で、真の理由はほかにあったと思う。
一番の理由はARM買収をめぐる両者の意見対立ではないか。これは冒頭に書いた。そのほかに企業買収手法で2人の違いがあり、孫正義は「可能性のあるものは全部ツバをつけておく」という手法だ。実際、孫正義が成功したのはヤフーとアリババだけ。あとはことごとく失敗か収支トントンである。
しかし、成功したヤフーとアリババは場外ホームランになった。特に、アリババは20億円の投資だが、アリババがニューヨーク市場に上場したお陰で、20億円が10兆円になり、投資は大成功になった。
これに対し、アローラは投資の専門家で、孫の投資手法は素人にみえただろう。その違いを心の中にとどめておけば、何事もなかったが、「孫社長の投資は素人だ」と社内外で発言した。
孫1人なら「また、アローラが俺を批判している」で済んだと思うが、おさまらないのは社内である。「組織のジェラシー」というもので、孫正義がどう対処するのか、注視していた。
社内ではアローラだけ高給をもらって、という反感もあった。アローラは契約金として165億円、昨年の給料として、80億円もらっている。片や、取締役や部長クラスは多い者でも精々1億円だろう。何の実績もないと思われるアローラの報酬は高すぎると思っても当然だ。
アローラは確信犯では?
ここまで書いてふと思った。アローラは確信犯ではないかと。元々辞めたいと思い、孫を批判したのではないだろうか。
アローラは2014年9月にソフトバンクに入社した。この時、破格の契約金165億円を手にした。それだけで「組織のジェラシー」を買うのに十分だった。そして、2015年6月には代表取締役副社長に就任、決算発表の席で孫の後継者に指名された。そして2016年3月期を通して、総額80億円の副社長報酬を得た。
これで「組織のジェラシー」はピークに達した。アローラはこの1年間組織の冷たい視線を感じたはずだ。ソフトバンクを逃げ出すには、どうしたらいいか。そこで考えついたのが孫批判だ。
「孫社長は投資の素人」と言えば、社内は黙ってはいない。孫に「何とかしろ」と無言の圧力をかける。こうして、アローラ退任となったのだ。
さらに、退職金としてアローラに68億円を2016年4~6月期に支払った。これで、300億円強支払ったことになる。
創業経営者は60歳では辞めない
なぜ筆者がこう考えたかと言うと、創業経営者は60歳で辞めるはずがない、と思ったからだ。社外取締役、ファーストリテイリング会長の柳井正も「創業経営者は生涯現役だ」と言っている。
創業経営者と企業は一体で、企業は人生そのものだ。60歳で辞めるはずがない。
欧米では、ハッピーリタイアメント(幸福な引退)として、60歳で辞めるかもしれないが、日本人は違う。セブン&アイ創業者の伊藤雅敏は90歳になっても、同社の実力者だ。欧米で育ってきたアローラはその辺を間違えた。
「孫さんは60歳になったら社長を辞める」と思ったのだ。
孫正義は80歳までソフトバンクを率いるだろうと思う。70歳ごろに会長になると思うが、ナンバーワンであることには変わりない。孫のいないソフトバンクは考えられない。株主総会も孫正義社長続投を了解した。
欧米人は労働を苦役と考え、一刻も早く苦役から逃げたいと思う。欧米の経営者の中には、株式上場を終えて一儲けすると、さっさと引退し、レジャーを楽しむ。早い人は40代で引退。マイクロソフトのビル・ゲイツも孫より1歳年上だが、50歳半ばで引退した。
これに対し、日本の経営者は労働を苦役と考えず、むしろ、愉しむ傾向がある。この考えは江戸時代から続いており、経営者の中には「仕事と戯れなければ」と思っている者もいる。実際、日本電産の永守重信なんかは「車いすに乗っても、社長をやる」と言っている。
労働に対する彼我の違いが今回のアローラ退任の裏にあったような気がする。
アローラが10年待ったら、ソフトバンクの社長になっていただろう。それだけの逸材だ。惜しいことをした、あれだけの人材はなかなか見つからないと、孫正義も思っているだろう。
ボタンの掛け違い
そもそも、アローラを副社長にした時からボタンの掛け違いがあったように思う。すでに6月号のこのコラムで書いたように、孫正義は記者団から米スプリントの再建問題の質問を避けるため、急遽、後継者人事を発表したフシがある。2015年5月のことである。
2015年5月、決算発表の席で孫正義は窮地に立たされていた。米スプリントが赤字続きで、記者団の質問が殺到しそうな状況だった。孫正義が打った手は、アローラを自分の後継者にする、と発表したことである。
案の定、記者たちはスプリントのことは忘れて、アローラについて質問した。孫正義の作戦勝ちである。宮内たち日本人取締役は「何もこの席で発表しなくても」という顔をしていた。平たくいえば、アローラは口実に使われたのである。アローラが気の長い副社長でイエスマンだったら、退任することはなかった。その代わり10年は副社長でいなければならない。米国育ちのアローラには出来ない相談だろう。
やはり、日本企業には落下傘の後継者は難しい。はえ抜きの社長でなければ。少なくとも、10年は苦楽を共にしたはえ抜きが必要だ。一番痛感したのは孫正義ではなかったか。
欧米企業の場合はプロの社長が落下傘で後継者になることもあるが、日本企業はそうは行かない。10年間ぐらいの下積みが必要だ。民族の体質が違うのだ。
アローラはめったにいない逸材である。ハンサムだし、頭も切れる。何よりグーグルの営業・マーケティング・提携戦略の最高責任者も務めた。孫正義が惚れ込んだだけはある。自分の後継者と思った。しかし、両雄並び立たず、である。一つの組織には、一人のボスしか必要ない。
孫の興味期間は6カ月
孫正義の関心は大体6カ月、それを過ぎると、彼の興味は急速に衰える。場合によっては忘れることもある。例えば1990年代に衛星テレビ放送に夢中になり、ルパード・マードックを相手に「私は衛星放送に命をかける」と言ったが、もう、そのことは忘れているだろう。
俗に、「好きやすの飽きやす」といわれるが、孫正義の場合はちょっと違う。彼は衛星放送の時は四六時中、衛星放送のことしか頭に入らない。徹底した集中力で臨む。普通の人が2、3年かけることを6カ月でやってのける。彼の脳細胞は衛星放送だけにフル回転する。
だから、6カ月もすれば衛星放送の1から10まで知ることになる。もう学ぶことはなくなり、興味が急速に薄れて行く。孫正義は好きやすの飽きやすではない。
これまでの孫正義の興味の変遷をみると、初めは卸のソフト会社をめざした。次は株式を上場して5000億円の資金をつかってジフ・デイビスやコムデックス(見本市)を買った。これには、ヤフーへの投資100億円も入っている。当時のヤフー社長、ジェリー・ヤンを3日3晩口説いて出資した。
続いて、今度は衛星テレビ放送だ。米ヒューズ社を巻き込んで渡米したこともある。次に孫正義はインターネットにのめり込み、「これからはインターネットだ」と叫んだ。
マイクロソフトのビル・ゲイツに、メールを打ち「ソフトバンクはこれから米国のインターネット企業に投資をして行くので、よろしく」と挨拶した。ビル・ゲイツから「どうぞ投資をして下さい」との返事をもらった、という。
ここで孫正義の投資と事業のことに触れておこう。今でこそ出資やM&Aは日常茶飯事のことのようになっているが、1993年ごろは出資やM&Aは「企業のやることではない」と孫正義を批判する声があった。事業を育てることが企業の王道だ。特にメーカー系の名門企業から批判があった。
確かに、ソフトバンクはこれといったブランドがない。アイフォンはアップルの商品だし、ヤフージャパンもアメリカの焼き直しだ。
孫正義は言う。「投資やM&Aなどの総合経営そのものがソフトバンクのオリジナルだ」と。こういう会社は日本になかった。孫正義が持ち込んだものといえよう。今では、株式上場すると、ほとんどのベンチャーは投資やM&Aをする。そういう意味では、孫正義が最近のベンチャー経営の先鞭をつけたといえる。