会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2010年8月号掲載)
2010年2月、政府から要請を受け、JAL会長に就任し、無給で再建に取り組む稲盛和夫氏。しかし、「JALの稲盛会長」だけを見ていると大きな学びを見落としかねない。評価は晩節だけに捉われず、過去の偉大なる実績を加えた平均点で下すべきである。どのような苦境にも挑戦しようとする稲盛イズムの原点、経営理念と相性の良い経営システムが稼働する京セラの強みとは何なのか。最終回となる第6回は「経営理念と経営システム」をテーマに、京セラの創業と守成に迫る。
社会的存在として認知される創業経営者
「京セラの社長は誰ですか」。さすがに、同社関係者であれば、「久芳徹夫(現社長)さん」と即座に答えることができるだろう。ところが、ビジネスマンでも「今も京セラのトップは稲盛(和夫)さん」と思っている人が多いのも否めない事実だ。創業者があまりにも有名になった企業であれば有りがちなことである。ましてや、創業者が健在であれば、会社側が「現在は経営に直接関与していない」といってもなかなか信じてもらえない。特に稲盛氏の場合、「京セラという会社はよく知らないが、稲盛さんなら知っている」という市井の民は少なくない。なぜなら、稲盛氏は、いわゆる名経営者の枠を超えて社会的存在として認知されているからだろう。
稲盛氏は1932年鹿児島県に生まれ。55年に鹿児島大学工学部応用化学科を卒業後、碍子(がいし)メーカーの松風(しょうふう)工業を経て、59年、社員8人で京都セラミック(現・京セラ)を設立した。ファインセラミックスの技術で成長を遂げ、10年後に株式上場を果たす。84年には第二電電(DDI、現・KDDI)を設立した。2010年2月、政府(鳩山首相)から要請を受け、日本航空(JAL)会長に就任し、無給でJAL再建に取り組んでいる。民主党を支持し、同党の小沢一郎幹事長とは新進党時代からの仲であり、前原誠司国土交通相の後援者であるからして大役を引き受けたのだろう。
会社経営以外では、97年、京都商工会議所会頭在任中、65歳のときに、京都八幡市の臨済宗妙心寺派円福寺で得度。84年、財団法人稲盛財団を設立し「京都賞」を創設した。また、83年から経営塾「盛和塾(旧盛友塾)」を主宰し若手経営者の育成に努める。
一代で売上高1兆738億円(連結、2010年3月期)の企業(京セラ)を築いた稲盛氏の真骨頂は、「アメーバ経営」と呼ばれる独特の経営管理手法を構築したことにある。同氏が編み出した「アメーバ経営」「京セラアメーバ経営」は、京セラの登録商標になっており、他社に対してコンサルティングビジネスも展開、現在、300社以上の企業が採用している。「アメーバ経営」を一言でいえば、小集団部門別採算制度に基礎を置いた全員参加型の分権的経営(ビジネス)システムのこと。従業員の経営参加意識を持たせてモチベーション向上を狙った。企業組織を数名から50名で成る自律的小集団の「アメーバ」に細分化し、効率性が徹底的にチェックされるシステムであると同時に、責任が明確であり、細部にわたる透明性が確保されている。各アメーバがお互いに協調、競争することでリーダー育成と継続的な創意工夫を促すとともに、経営環境の変化に即応できる体制を作る。必要に応じて、分裂、新設、廃止が行われる。その様が細胞分裂を繰り返し、増殖するアメーバに似ていることから、この名が付いた。それを支えるものとして「京セラ会計学」なるものがある。稲盛氏は技術畑出身ではあるが、経営における会計の重要性を強調している。
アメーバ経営の部門別採算制度においては、アメーバが相互に簡易管理会計システムである「時間当り採算」で比較される。製造部門は「(総生産マイナス経費)/総時間」、営業部門ならば「(総収益マイナス経費)/総時間」で算出される。総時間はアメーバの定員の総労働時間に共通部門人員の応分を加えた時間である。総生産、総収入を最大化し、経費と総時間を最小化するのが目標。
権限を委譲しスピーディーな意思決定が行えると考え、カンパニー制を実施したものの失敗してしまった企業に見られるように、各部門が経営を行うと、蛸壷型組織になり部分最適のみを考えるようになるものだが、アメーバ経営では、あくまでも全社の利益を優先している。その求心力になっているのが「京セラフィロソフィ」である。この基本思想が働いているからこそ、経営者感覚を持った人材の育成が可能になる。つまり、アメーバ経営は、人材育成を究極の目標として、組織、管理会計、トップの経営哲学が補完的に影響し合うビジネスシステムであると言えよう。経営理念と管理会計を強く関連させるという発想も、稲盛氏の経営者としての経験によって生み出された非常にユニークなものである。このような考え方は、欧米の管理会計の議論ではほとんど聞かれない。
経営学の諸分野やマスコミにおいてアメーバ経営が注目され、06年には、稲盛氏の著書『アメーバ経営ーひとりひとりの社員が主役ー』(日本経済新聞社)がベストセラーになった。その結果、「アメーバ経営を導入すれば必ず業績が向上する」という「アメーバ経営万能論」とも言える思い込みが生まれた節もある。経営学には、優れたビジネスシステムを導入しても必ずしも成功するわけではない、という研究成果がある。トップのリーダーシップ、組織風土、社内パワー、教育訓練体制、新旧システムの調和など、さまざまな因子との整合性により、ビジネスシステムの長所が発揮されるか否かが決まる。経営理念が憲法なら、経営システムは個々の法律である。国においても、憲法に基づき体制が築かれ、それに合った法律が立法化され施行される。経営理念と相性の良いビジネスシステムが稼働してこそ、企業は順調に成長を遂げられるのである。
経営者の大きな仕事は、長期にわたり儲かる仕組みを構築することである。稲盛氏に娘はいるが息子はいない。それが理由ではないと思われるが、もともと世襲経営は念頭になかった。あくまでも全員参加経営を志向している。ワンマンなカリスマ経営者に見られている稲盛氏が、強いリーダーシップに基づくトップダウン経営ではなく、集団経営方式を強調するのは矛盾しているようだが、自分がいなくなったとき、京セラをどうして経営していくべきかを若い頃から探究してきたようだ。その背景には創業間もない頃に起こった労働争議から得た教訓がある。ファインセラミックス技術を世に問いたいという自己実現のために、稲盛氏は起業し研究開発に没頭していたが、社員たちはその思いを理解せずついてこなかったのだ。稲盛氏は経営者の孤独を経験していた。そこで、社員に何のために働くのかを自覚してもらうため、「京セラフィロソフィ」として結実することになる稲盛氏の経営理念を、ビジネスシステムに落とし込むことにした。その結果生まれたのがアメーバ経営なのだ。
「JALの稲盛会長」だけを見るな
京セラで、新規技術開発から新規事業開発の責任者を経て社長を6年間務め、現在、相談役で同志社大学大学院ビジネス研究科(ビジネススクール)客員教授として「技術経営と組織構築」を教えている西口泰夫氏は、次のように述べている。
「経営学を学ぶことの目的は、論理的経営の実践に役立てるためである、と定めて欲しい。そのためには、現実の経営を絶えず意識しながら経営の本質を幅広く学ぶよう努めることが重要である。何故ならば経営を取り囲む多くの要素が時には相互関係を持ち、大きく経営に影響を与え、その影響結果がそれぞれ企業の経営指標に最終的に表れてくるからだ。現場においては、この複雑な要素の影響を論理的に解析しながら経営を行うことが理想であるが、実情はそうではなく、多くは試行錯誤の繰り返しで経営が行われがちである。しかし、これからは論理的経営が求められていると考える。経営学の存在価値はここにある。経営学の目指すところは、探求した論理が論理的な経営の実践に大いに活用されることにある。この事を基本に学んで欲しい」
このメッセージは、稲盛氏の使徒の役割を果たした西口氏ならではのものである。経営はシステムだ、経営は人だ、経営は理念だ、など持論を唱える経営者は多い。稲盛氏の経営哲学については「稲盛教」と揶揄する人もいる。たしかに、その言葉の響きからは、経営の非合理性を極めて重んじているようにもとれる。しかし、哲学者、宗教家である以前に稲盛氏は、経営の合理性を重んじる極めてプラグマティックな経営者である。この真意を前出の西口氏の発言が裏付けているようだ。
これまでも、三田工業など数々の企業の再建を果たした稲盛氏。現在、JALの再建に携わっているが、今回ばかりは一筋縄ではいかないだろう。稲盛氏はこれまで、原則的には首切りをしない経営を貫いてきた。JALについても、当初はそのような思いで改革に当たろうとしていた。ところが蓋をあけてみると、常識では考えられないJALの窮状に苦慮しているようだ。京都財界からは「泥船が沈む前に、早々に降りた方がいいんじゃないか」という声さえ聞こえる。ところが稲盛氏は、フェアな競争関係を樹立することが、国民にとって良いことである、JAL再生は善だ、と考えており、2、3年、健康が許す限り献身的に働き、再建への道を付けるだろう。
マスコミは、とかく、最後の時点だけを見て、経営者を評価したがる。しかし、経営者だけに限ったことではないが、評価は過去の偉大なる実績を加えた平均点で下すべきではないかと思う。どのような苦境にも挑戦しようとするのが稲盛イズムでもあるのだが、はたして、稲盛氏は晩節を汚さずに済むのだろうか。そう考えると、DDIを立ち上げようとしたとき、規制緩和の論陣を張り、ともに戦った盟友のセコム創業者・飯田亮氏にインタビューしたときに聞いた発言を思い出した。
「引退して仏の道を究めたい、と言って得度したけれど、稲盛さんは鏡の前で自分の坊主頭を見て、こんなことをしていてはいけない。そう、はたと気づいたんだよ」
その後の稲盛氏の発言を聞いていると、より心の世界が広がっているように思える。ロングセラーになった『生き方』(サンマーク出版)の出版記念会があり、発起人として招かれた私は、稲盛氏の表情、話から、また仏門に戻ったのか、という印象を持ったものだ。その柔和な微笑み、静かな語り口、深い人生観、そして何よりも(少なくとも外の人に対しては)腰が低くフレンドリーな姿勢など、とてもビジネスという戦場で修羅場をくぐって来た人には見えない。まさに聖職者の趣であった。だが、実際は、以前にも増して精力的に社会的活動を展開していたのだ。
非合理性と合理性の両方を理解し、そのバランスを保ちながら歳を重ねている稲盛氏からは、新しい時代に向けて模索する日本企業の未来を考える上で大きなヒントを得られるのではないか。後継者育成、後継者候補に悩んでいる経営者、そしてリーダーになろうとしている人にとって、稲盛氏がビジネスシステム構築にかけた情熱と行動の軌跡は大いに参考になる。「JALの稲盛会長」だけを見ていると大きな学びを見落としかねない。(終)
アメーバ経営の目的
1. マーケットに直結した部門別採算制度の確立
2. 経営者意識を持つ人材の育成
3. 全員参加経営の実現
7つの会計基本原則
京セラ会計学
1. キャッシュベース経営の原則
2. 一対一対応の原則
3. 筋肉質経営の原則
4. 完璧主義の原則
5. ダブルチェックの原則
6. 採算向上の原則
7. ガラス張り経営の原則