会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2013年4月号掲載)
言葉は文化そのもの
国語はその国そのものである。日本語はその特性によって日本の文化の特性そのものになった。日本語は他国に例を見ない三つの表記法を持ち、優れた表現力、応用力を発揮してきた。
文字の前に言葉があった。縄文、弥生の時代には原日本語が語られていたはずである。通信交通手段が未発達の時代だから、その原日本語は地域によって、また渡来した故国によっても、かなり違ったものだったろう。その違いは今日の方言のそれよりも遥かに大きかったはずである。
人々は自分の意志を正確に伝えるために、なんらかの表記法を入手したかったに違いない。最初は単なる記号だったかもしれない。だが、それではまだ不便である。十分に意志を伝えられない。文字を創る必要があった。そうこうしているうちに、先進国の中国から漢字が伝わってきた。
日本は『魏志倭人伝』が伝えるように、古くから中国と交流していた。先進文化を導入するには漢字で文書を書く必要があった。中国語で会話する必要もあった。遣隋使、遣唐使で留学する学生の中には語学に堪能な者が多かった。
元々日本語はある。そこへ表意文字が伝わってきた。日本語を漢字で表現すればいい。適当な漢字がなければ独自に作ればいい。こうして万葉仮名が生まれた。日本人は文化を導入するだけでなく、日本流に使いこなしてしまう。技術の創造的導入である。
カタカナとひらがな
日本人は漢字を使って万葉集を作った。足りない字は創作した。万葉仮名の草書体からひらがなを創り出した。一方、漢字の字画の一部を活用してカタカナを創り出した。漢字の一部とひらがなもカタカナも日本人の創作である。日本人は漢字という表意文字を導入するだけでなく、漢字をベースに二つの文字を創り出したのである。
日本人は表意文字と表音文字からなる三つの表記法を駆使して、自在に自分の意志、感情を表現するようになった。古今集が編まれ、源氏物語が書かれた。平安時代に、それも女性によって、世界に冠たる文学作品が生まれた。それはひらがなの力だった。男の紀貫之もひらがなで土佐日記を書いた。
時代が下がって、江戸幕末、明治維新ともなると、欧米から文物、技術が導入され、カタナカ表記が幅を利かすようになった。今日ますますカタカナ表示が増えている。というより氾濫しているといってもいい。カタカナの威力である。
どうやら、日本人はひらがなは情緒、カタカナは論理と、それぞれの表現特性を生かして、文化を創り上げてきたようである。大東文化大学文学部准教授の山口謡司氏は、日本語の威力を次のように書いている。
「情緒と論理の言語的バランスを取ることのできるような仕組みの言語は、日本語以外にはない」
「あらゆる文化を吸収して新たな世界を創成するという点で、それは曼荼羅のようなものだと言える」(『日本語の奇跡』新潮新書)のである。
日本人はみな歌人
日本人には太古から豊かな歌心があった。万葉集しかり、古今和歌集しかりである。歌人としても有名だった紀貫之は古今和歌集の仮名序文にこう書いた。「やまと歌は人の心を種としてよろずの言の葉とぞなれりける」「生きとし生けるものいずれか歌を読まざりける」。
日本人は感性豊かである。それは変化に富んだ四季の移ろい、山河のたたずまいの中で共同生活を営んできたからであろう。明治大学文学部教授でことば教育に熱心な斉藤孝氏はこういう。
「日本人には、例えば月を見て悲しんだり、桜を見て死を思ったりという感情がある。これは世界共通ではなく、きわめて日本人的な感覚であり、日本人の心である。それが文化伝統として多くの人と時間をかけて受け継がれると、それは『心』というより『精神』となる」(『日本人の心はなぜ強かったか』PHP新書)
和歌から連歌が生まれ、さらに俳句が生まれた。公家も武士も僧侶も庶民も皆歌を詠んだ。歌の題材も様々である。喜びの歌も作れば辞世の歌も詠んだ。キリシタンのガラシヤ夫人こと細川玉は「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」と辞世の歌を詠んだ。
今日なお日本には夥しい歌人、俳人がいる。とりわけ昨今は高齢化も手伝って俳句が盛んである。俳句の結社、雑誌は800を越すという。隣人は歌人、俳人なのである。「昭和万葉集」(20巻、講談社)も刊行された。昭和史そのものが歌集になっている。こんな国が他にあろうか。
言葉にも時勢がある
明治になって政府は標準語を作った。標準語作成にまつわる笑劇を書いた井上ひさし氏は近代国家に必要なものが三つあるとして、貨幣制度、軍隊制度、言葉の統一を上げ「なぜことばを統一するのか。そうしないと、たとえば軍隊で、東北の兵隊さんに九州の人が号令をかけても分からないからです」(『日本語教室』新潮新書)と語っている。
標準語は中央集権化と交通、通信手段の発達で急速に普及した。同時に、言葉そのものも時勢とともに急速に変化していった。カタカナの和製英語が幅を利かすと同時に、言語ソフトの普及で、やたらと難しい漢字を使う若者も増えた。それは致し方ないとしても、美しい日本語が姿を消しつつあるのは気になる。戦前に作られた唱歌の言葉は日本語の美しさの見本だったのにである。日本語が本来の美しさを失いつつあるのと同様に、日本人の表現力も衰えつつあるように思われる。そのいい例が、ネーミングである。地名、社名、党名など、その歴史的意味も顧みず、ただ親しまれるようにと名前を変えてしまう。
言葉が劣化することは文化が劣化することである。江戸時代には素読といって、子供たちは論語その他教典を声に出して読んだ。いま学校で本を音読することが奨励され始めていることは大変いいことである。いい本、いい文章を音読することは、感性豊かな美しい日本語文化を維持することに通じるからである。
近年、欧米人は箸を器用に使って日本食を楽しむようになった。刺し身はもちろん味噌汁もOKである。では、日本語はどうか。日本語を話す欧米人も増えてはきた。では、日本語はやがて国際語として認知され、公用語になって行くのだろうか。残念ながらそれは疑わしい。
日本語は難しい。井上やすし氏は言っている。語彙、文法、発音はやさしいが、表記法が難しい。確かに、漢字、ひらがなカタカナまじりの文章は読むのも書くのも難しい。発音はやさしいというが、同音のようでもいろいろな意味がある。箸と橋、柿と牡蛎といった具合である。
人は難しくても必要なら修得する。問題は日本語の必要性がこれから高まっていくかどうかである。日本の相対的地位低下が指摘されている。日本の存在感が乏しくなっているのである。目まぐるしく交代する日本の総理は国際会議場で相手にされなくなってきたようだ。
日本語が国際語になるには、日本の国際的存在が大きくなる必要がある。政治、経済、文化の面で、日本語に習熟しなければ都合が悪いという状態が生まれることである。残念ながら、今のところそうした期待は持てそうにない。しかし、日本が質的に存在感を発揮すれば、日本語への関心は高まる。そのためには日本人自身が日本語の美質を堅持するように努めなければならないだろう。

P r o f i l e 吉村久夫(よしむら・ひさお)
1935 年、佐賀県生まれ。1958年、早大一文卒、日本経済新聞社入社。ニューヨーク特派員、日経ビジネス編集長などを経て1998年、日経BP社社長。現在日本経済新聞社参与 。著書に「この目で見た資本自由化」「進化する日本的経営」「本田宗一郎、井深大に学ぶ現場力」「マスコミ生存の条件」など。