会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2009年1・2月号掲載)
1968年、加賀電子塚本勲会長はエレクトロニクスの独立系専門商社を東京・秋葉原に創業。木造2階に間借りした2坪の事務所から、「在庫を持たない営業スタイル」を徹底し、次々と事業を拡大。一代でグループ売上高3000億円の電子部品総合商社を創り上げた。社員からの提案があれば、新しいことに挑戦する機会をどんどん与えることで成長してきた。米国発の金融危機も創業以来最大のチャンスと海外展開の拡大を睨む。経営者は、人脈や商品知識、業界知識など「無形の財産」を作ることが重要と経営哲学を語る。
聞き手は本誌副編集長 徳永健一
企業経営はオープンに
問 まず、初めに加賀電子を創業する経緯を教えてください。
塚本 私は高校1年で自主退学し、故郷の石川県から叔父のいる東京に出てきました。最初に勤めるご縁を頂いたのは、エレクトロニクス部品メーカーでした。そこで2年間工場で音量調整をする可変抵抗器の組み立てをし、その後、6年間営業職を経験しました。人懐っこい性格でしたので、営業が向いていたのでしょう。根っからの好奇心旺盛な性格もあり、仕入先の卸問屋で新しい部品について質問攻めにして、すぐに仲良くなりました。商品知識も随分と付いてきたときでしたので、可変抵抗器だけでなく、電子部品全般を取り扱う商社に魅力を感じ、小さなスタートしたばかりの友人の会社に転職しました。そこに半年間、お世話になり24歳のときに独立しました。
問 何か独立のきっかけがあったのですか。
塚本 友人の会社に転職し、私も営業担当の役員を務めていました。ある時、社員が就業時間中に交通事故を起こしましてね。費用を会社負担にするか、自己負担にするか意見が分かれました。私は営業責任者でしたので、売上げと経費がどの位掛かっていて、粗利がどの位あるか分かります。しかし、その他の家賃や社員の給料といった経費を教えてくれなかった。会社経営は公明正大に公私混同しない、オープンにすべきだというのが私の基本的な考えでした。当然、事故については、会社負担にすべきだと社長に掛け合ったのですが、結局意見が通らなかった。
このままでは、経営に対する考え方も違うし、友人関係もギクシャクしてしまう。そんな煩わしさを考えているのだったら、自分の給料ぐらいは自分で稼いでみようという独立心が目覚めました。創業資金はありませんでしたが、幸いにして営業を6年半経験して、人脈と商品知識、業界知識という無形の財産があった。そんな経緯があり独立することになりました。
無形の財産を作りなさい
問 正月に石川県の故郷に帰り、「親子の縁を切ってもいいから創業資金を工面してほしい」と両親に相談したそうですね。その後、会社設立は順調に進んだのでしょうか。
塚本 両親からは「親子の縁を切るなんて寂しいこと言うな」と言われましてね。お金を工面する余裕はなかっただろうに、私のために当時では大金の20万円用意してくれました。直ぐに東京に戻り、それもやっぱり人のご縁ですが、同じ石川県金沢出身の方が秋葉原で電子部品商社をしていました。「塚本、お前事務所はどこか決めているのか。うちの2階が空いているから、多少家賃を負担してくれれば使ってよ」ということで、加賀電子の創業の地は秋葉原になりました。
会社を始めれば銀行の付き合いもしなければと、最初に紹介してもらったのがメインバンクの東海銀行秋葉原支店(現三菱東京UFJ銀行)でした。まだ、登記もしていない加賀電子代表者塚本勲という当座預金を作ってくれましてね。そこから電話を契約する。伝票類や社印、机も揃える。創業資金の20万円はすぐ底をつきました。
問 営業が強みで仕事は取れるが仕入れるための現金がなかったそうですね。創業から現在までに何か苦労はありませんでしたか。
塚本 正直に申して、苦労したと思ったことはありません。いつも社員に話しているのは、せっかく営業をしてお付き合いがあるのだから人脈などの無形の財産を形成しなさい。そうすれば、お金がなくても商売は出来るぞと言っています。頭を下げるのにお金は掛かりませんよね。お客様には本当に無理を聞いて頂いたのですが、営業を6年半していたので、自分の人間性を信用して頂けたのでしょう。
問 創業以来、無借金経営だそうですね。どうやって会社運営をしてきたのですか。
塚本 お金がないので在庫を持てません。だから注文を先に頂いて部品を仕入れるしか方法がないわけです。現在でも我々は「在庫は罪の子」だと言っているのは創業以来、変わっていません。1000個注文があったらきっちり1000個仕入れてお届けする。それを普通だったら不良品が出たら困るので、5個余分に頼んでおこうかなという発想になります。しかし、そんな余裕はないわけです。だから受発注システムは現在のこの規模になっても受注がないと発注できない仕組みになっています。必要なものを必要な時に仕入れて必要な時にお届けする。必ず注文が先という考えですね。
創業当初は会社登記すらしていませんので、卸問屋も個人創業している会社と取引してくれない。しょうがないので現金でと言われるので、お客さんに頭を下げて、発注と同時に、一回分だけ先にお代を頂きました。それを当座に入れて、仕入先へお願いに行きました。取引先に迷惑を掛けてはいけないので夜中でもお届けするということから始めました。
問 経営者は当事者なので資金繰りの危機感があります。しかし、営業担当者が経営者と同じ視点で考え、顧客に代金の前払いをお願いできたのでしょうか。
塚本 私は弟と二人で始めましたから、事情をよく分かっていました。創業から一年後に営業として人を雇ったのですが、社員には実状を全部オープンにしました。「借金は出来ないから、売り買いのバランスが取れていないと会社は回らないよ。家賃も給料も現金で出て行く、そうすると現金の回収比率が高くないと現実に回らない」ということを話し合いながら回収の努力をしました。現在の役員の中にも創業当時から参画しているメンバーがいますが、大切な企業文化をよく後輩にも伝えて努力してくれました。実際に経営は常にガラス張りですから、儲かったらボーナスで分配してきました。
それと社員は全員、経営者なのだから、会社が増資をするときに応じてもらった。銀行から借金をして金利を払うよりは、増資をして、売上げの回収の努力をして資本を充実させた方がいいでしょう。株式上場時の私の持ち株比率は、25%以下でした。ですから、私は創業者ですが、オーナーではありません。今でもそういう意識です。
義理人情にもろい
問 友人が困っていると放っておけず、財布にあるお金を全部あげてしまったというエピソードを聞きました。
塚本 私のところに一緒に住んでいた男がヨーロッパへ船で料理の勉強に行くという。彼も石川県の同郷で私の家からは歩いて5分のところに住んでいた一年後輩でしたから、何にも持たせずに行かせるわけにはいかなかった。たまたま財布の中にあった5万円を餞別ではないけれど、向こうに行ったらお金が必要だろうし、「持ってけや」と言って渡しました。
また、中学時代の同級生が東京で仕事を探したいと言うので、同じ電子部品商社でお付き合いのあったところへ紹介したこともあります。そしたら半年ぐらい経って、せっかく私が紹介したのに辞めて金沢に戻らなければならないと言い始めたわけです。それで理由を聞いたら、彼は金沢で運送業をしていたらしく、借金の整理に行かなければいけないというわけです。でも、お金がないと言う。私も商売を始めて1、2年経っていましたから、多少余裕もあったし、「お前これで整理してこいや」と言って当時で50万円ぐらい渡しました。
問 困っている人を放っておけない親分肌なのですね。社員の方についてはどうですか。
塚本 性善説というか、人は悪いことをしない、本当に悪い奴はいないんだという発想が根底にあります。地元金沢は仏教心が強いところでしたから親からもそういう教育を受けてきました。友達や先輩を大事にしなさい。そんなことをずっと子どものころから言われてきましたからね。
頼まれると嫌と言えない。まず話を聞いてみて相手の困っていることでお役に立てることがあれば聞いてあげる。
例えば、社員が何かをやりたいといったら反対はしません。そういう社風といいますか、創業当時から弊社は基本的には便利屋で始まった会社です。仕入れ部門を設けないで営業マンが自分で仕入れて自分のお客さんに売るという、要は個人商店の集まりだった。いかに自分の分身を養成していくかということ、自分のやってきた経験談も合わせて、伝授して、全員が商売しやすいようにする。それの集合体が会社です。
創業以来の最大のチャンス
問 今回、米国発の金融危機が起こりました。09年も不景気が続くと言われていますが、どのように受け止めていますか。
塚本 創業以来、最大のチャンスだと思っています。それはなぜかというと円高により海外で生産する引合いが現実に増えています。中国だけだと危険だから、たとえばマレーシアで作ってくれと依頼がある。今までに想像できなかったようなお客さんも円高によって海外で生産をしたいという要望が出てきた。弊社はすでに各国に工場を持ち、体制が整っています。さらに、電子部品をすべて集められるという最大の特徴があるわけですね。中小を含めて海外で生産しようと考えたとき、一番心配するのは部材です。電子部品をどうやって集めるかが重要な問題です。それは弊社の本業じゃないですか。だから日本語で丸投げしてもらえます。お客様は弊社を活用すれば仕事が楽ですから。
問 部品は日本メーカーだけでなくて、世界中から買っているのですか。品質の問題はありませんか。
塚本 もちろん、世界中から調達しています。たとえば中国もタイも現地調達率95パーセント以上です。日本から持って行く部品はほとんどありません。そうでなければ、本当の意味での供給力がありません。品質についてですが、日本人がマネジメントしているので、問題ありません。人材は現地にもいます。大手で生産に携わり、タイだとかマレーシアだとかで従事していた人が定年退職になりますよね。そうすると日本に戻ってきても仕事がありません。そこで、弊社は新しく進出しているので人材が足りない。そうすると現地同士で知り合いになりますから転職して、弊社の工場長や責任者を務めてもらいます。ですからトップマネージメントはほとんど日本人。おかげさまで品質の件で、経営に影響を及ぼすような問題は起こりません。
問 M&Aの案件も多いのでしょうか。
塚本 銀行の貸し渋り、貸し剥がしにより、せっかく良い商品、技術を持っていながら、資金繰りで困るところがあります。実際に、連日のように相談を頂きます。お互いの強みを活かし、シナジー効果が出せるところだけ、弊社のグループに入ってもらいます。事業を一緒にやれる最善のチャンスですね。今期中に7社が加わり、連結対象会社が57社あります。そこには社長がいるわけですよね。弊社の出身者が8割ほど社長として経営をしています。そういった意味では経営者養成所になっています。創業以来、経営者を育てるという考え方でやってきました。
問 どういう人が経営者として向いていますか。
塚本 やはり人徳のある人ですね。基本的には、経営者は機関車のように引っ張って行く力がないといけません。やはり営業力のある人が向いていますね。また、管理面や資金繰りを研究しながら自ら育っていく必要があります。苦労しながら覚えればいい。会社の設立から資金繰り、雇用、マネジメント、全部自分でやらなければいけないわけです。多くのことを経験するわけですね。時には失敗することもあります。自信がなかったらさっさと辞めて戻って来いと言います。いろんなことを経験しているから、またチャンスはあるじゃないかと言っています。

P r o f i l e
塚本 勲 (つかもと いさお)
1943年石川県生まれ。62年、県立金沢工業高校を1年で中退後、上京し、音量調節機器メーカーのヴァイオレット電機入社。67年、サンコー電機入社。68年、加賀電子(個人経営)創業。68年9月、株式会社化し、代表取締役社長に就任。85年6月、店頭公開。86年12月、東証2部へ上場。 97年9月、東証1部に上場。07年4月、代表取締役会長となり現在に至る。