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Vol.04【日の丸キャピタリスト風雲録】日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代 表 村口和孝

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

未来は自ら拓くもの

(企業家倶楽部2008年10月号掲載)

混沌に立ち向かおう

 生まれるときは誰でも羊水にまみれ修羅場をくぐるように、いくら格好いい創業物語も、実際の現場は混沌としている。修羅場や混沌を避けられると妄想する社会は、非現実的で、世界の歴史から閉ざされた、夢見る楽園ガラパゴスのような特殊社会になってしまうだろう。我々は今一度、ガラパゴスの部屋を開け放ち、勇気を奮って、人間の創業期の混沌とした現実に、正面から向き合わねばならない。

 実際、半分も上場すれば凄いと言われ、華々しい成功だけがマスコミから取り上げられるVC(ベンチャーキャピタル)の世界は、裏を返せば、最低半分は苦悩の末投資に失敗することを意味する。これがVC世界の現実である。成功の影には失敗があり、また成功と失敗とは紙一重である。10社も投資先があれば、例外なく、今日もどこかの投資先が大小のトラブルを抱えて、ベンチャーキャピタリストは頭を悩ませている。

 学者はベンチャー立ち上げの苦境期を大げさに「デスバレー(死の谷)」と呼ぶが、学校の立ち上げであれ、病院の立ち上げであれ、資本を使い準備をして事業を始める作業は、常に混沌として大変なことである。ましてや競争条件の明確でない新しいフロンティアの領域において、企業家が新しく事業を開始することは、自分の人生を混沌の中に身を投じることを意味する。この不確実な事業を社会的に資金面で支えてくれるのが、不成功の資金リスクを吸収してくれるベンチャーキャピタリストの投資活動であり、これがVCの社会的充実が待たれている理由である。

インキュベーション施設「iGate」開始

 1998年、私がVC会社のサラリーマンを14年間務めた後独立したとき、最初に驚いたのが、自分自身があまりに創業経営の実態を知らないことだった。VC会社にいたのだから良く知っているはずの創業経営をいざ自分でやる番になると、赤ちゃんも同一の有様だった。商号を決め、創業登記し、銀行で口座を開き、事務所を借り、机を準備し、電話を引き、ネットのプロバイダと契約し、名刺を作る。商号も決まっていない創業準備期の人には、まずもって信用が無く、事務所すら借りられない。すべてが初めてのことだらけだった。事業活動には、事業を始める前からいきなり巨大な壁が立ちはだかっていた。

 「これは大変だ」と、気がついたからには行動せずにいられなかった。1999年、NTVP創業一周年記念の第1弾として、早速、創業準備期の個人の支援に的を絞ったインキュベーション施設「iGate」を東京浜松町の大門で開始した。NPOのETIC.と、プロバイダのリムネットが協力してくれた。これは、当時の日本のインキュベーション施設に影響を与えた。何しろ、小規模な中小企業へのレンタルスペースの提供ではなく、創業準備期の一番信用の無い人への環境提供の支援に限定した活動だったからだ。

「企業体験プログラム」のボランティア 

 次に驚いたのが、組織から独立して一人で事務所を始めた時、過去を振り返ってみると、私は誰からも創業の仕組みや作業について教育で教わっていないことだった。考えてみれば、現代という時代は、子どもたちから「企業家という生き方」を身近で観察する機会を奪ってしまった。

 そこで創業1周年記念の第2弾のボランティア活動(社会貢献活動)として、「起業体験プログラム」を企画した。ちょうど長男と長女が東京都大田区池上本門寺のボーイスカウトでお世話になっていたことから、青少年に体験してもらったらどうかと持ちかけると、「ご両親が手伝ってくれるのなら」と開催することになった。NTVPの創業期であって、資金も十分で無いまま自分たちが事務所を立ち上げに苦労した内容を、そのまま教材にした。「体験ノート」と題して私が週末ワープロを打った。

 起業体験ワークノートに基づき、まず事業を創業する小学高学年、中・高、大校生が約5?20人のチームに分かれ、独自の「事業計画を作成」する。それをボランティアの大学生やビジネススクール生が扮する「一日ベンチャーキャピタリスト(投資家)」を説得出来なければならない。VC役の大学生は慶應や早稲田のベンチャーに興味のある学生にボランティアで手伝ってもらった。

 青少年起業家たちは自分で出資し(1000円程度)、社長を決め、司法書士に手伝ってもらって会社を「設立登記」する。その上で学生投資家に数万円の株券を発行して「増資」し、事業実現のための必要準備資本を獲得する。安全な運転資金部分は模擬銀行から担保を提出して「借入」も行う。なお借入過多は不健全だ。

 次に、チームの活動計画に基づいて、街に出て現実に資本を使い、値段と条件の交渉をしながら「仕入活動(領収書に化ける)」を実践する。さらに街の祭りや学園祭会場等で店開きをして、「商品を加工し、販売を実行(売値変更は無論自由)」するが、販売する相手は一般人だから本気で売らないと売れない。終了後、現金を数え、伝票を集計して「決算書(貸借対照表と損益計算書)を作成」する。本物の会計士に「監査証明書」を発行してもらい、レポートを作成して「株主総会で事業報告」する。納税(義援金等に寄付)した後、総会決議に基づいて「利益配当して、会社を解散」する。

企業家はボランティアをすべきだ

 開催日当日、池上本門寺のプログラム実施会場に来て、本物のベンチャーの社長ということでソフト開発会社インフォテリアの平野洋一郎社長に講義をしてもらった。監査を手伝ってくれたのが、NTVP投資事業組合の監査をしてくれていた本物の公認会計士がボランティアで協力してくれ、大いに盛り上がった。

 昼間はディー・エヌ・エーの創業応援をして、夜は投資事業組合の契約書をまとめ、週末は青少年の起業体験プログラムの準備をするといった非常に忙しい毎日を送っていたが、池上本門寺のプログラムには私の子どもたちも参加しており、家族サービスも兼ねていて楽しく開催した。

 よく「忙しいのに出来ますね」と言われるが、つくづく忙しいから出来るのだと思う。暇で余裕があるときほど、ボランティア活動など面倒で出来ないものである。要は実行する決心が出来るかどうかである。私はサラリーマンから独立することで、以前よりも強く自分が広い社会の中でどう有意義に生きるべきか、考えるようになっていた。

学びの多い起業体験プログラム

 起業体験プログラムでは、優秀なグループが元の出資金の5倍以上の高配当を得られる。一方駄目な会社は赤字になり元本割れになる。現金を使う現実経済活動なので子どもは一生懸命だ。利益は持株に応じ公平に分配、最初から競争原理がはたらいている。ガリ勉が必ずしも優秀とは限らない。実施して毎回驚かされるのは、青少年の資本主義経済、会社設立運営に対する理解の早さ、自然さ健全さと、状況変化への適応能力の高さである。

 会社の仕組み学習は、部分部分を切り離して学ぶよりも一連の作業として現実に現金を使って体験すると、若い子はあっという間に本質を理解する。また、途中起こる様々な体験を通じて経済活動の困難さや、困難を屁理屈ではなく、現実的に正当かつ柔軟に粘り強く乗り越えることの重要さに気が付いていく。最初は現金の分配を伴うことや、利益を追求することなどから教育委員会で問題になるのでは、という懐疑的意見が多かった。開催とともに参加した子どもから「現実の会社運営がこんなに大変とは知らなかった」、「初めて学校でいろんな学科を勉強することや進学することの重要性に気が付いた」、PTAから「子どもが社会に積極的になった」など大きな教育効果があがり、今では学校の先生も積極的に参加するまでになっている。また、参加した大学生達も「有名大学の経済学部に居ながら会社の仕組みを初めて知った」「知らずに社会人になっていたら怖い」など教育効果が大きい。

 ある中学3年生の話だが、彼女はこのプログラムに参加するまでは学校で勉強することの意味が分からず、大学に進学するつもりも無かった。ところが友人と小遣いを稼ごうと起業体験に参加して、あれこれ自分で工夫をして小事業をやって決算書にまとめてみたところ、現実の社会のルールと仕組みが分かり、将来大学進学することを考えて高校受験を頑張り、いい高校に進学した。彼女は現実社会の中で自分のやりたいことに気がついて、勉強したいと心から思うようになった。

 結局このプログラムで教えていることは、会社創業運営の仕組みであるが、基本は「未来は自ら拓くもの」という、健全な自主独立の生き方の考え方である。

 現在、郁文館夢学園、品川女子学院、慶應義塾大学理工学部大学院、徳島ニュービジネス協議会、海部高校、成蹊大学などで実施しており、9年間で累積参加者が約5000人となり毎年増加して行っている。

著者略歴
日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合
代表 村口和孝 《むらぐち かずたか》
1958年徳島生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。84年日本合同ファイナンス(現ジャフコ)入社。98年独立し、日本初の投資事業有限責任組合を設立。東京を中心にベンチャー企業の創業支援、株式上場支援を行い、ベンチャーカンファレンスを開催。99年よりボランティア活動として、「青少年起業体験プログラム」を慶應義塾大学など全国各地で実施。03年より徳島大学客員教授。07年慶應義塾大学大学院経営管理研究科非常勤講師。現在、日本経済新聞夕刊にて定期的にコラム執筆中。

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