会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2009年8月号掲載)
日本ベンチャーキャピタル産業壊滅か
創業ベンチャーに数億円~数十億円の資本を投じ、新しい産業のフロンティアを切り拓く。その創業ベンチャーが、世界市場の開拓期の重要な役割を演じることで、世界の産業競争力を手に入れる。これこそが、1990年代にインターネット産業において、シリコンバレーモデルが世界を席捲した式である。私をして、90年代中盤ごろ「やばい、このままでは創業ベンチャーがシリコンバレーに席捲されてしまう」と危機感を募らせ、98年に独立して、創業ベンチャーに積極的に投資し始めた背景だ。
今や、オバマ政権のグリーンエコノミーにおいても、ベンチャーキャピタル(VC)産業は、世界に於ける競争戦略の中で、無くてはならない重要な産業政策のエンジンとなっている。その日本のVC産業に2009年、大異変が起こっている。壊滅の危機に瀕しているのである。大手VCは新興市場株価の低迷や、投資の失敗、業績不振の証券会社銀行など親会社のVC部門縮小などで、もともと弱小だった創業VC産業がさらに縮小しようとして危機に直面している。09年に入り、大和証券系VCの未上場化、アジア投資の借り入れのリスケと経営陣の退任、外資系金融機関の日本でのVC部門の閉鎖なども起こっている。いったい日本の創業ベンチャー投資は、大丈夫だろうか。
創業対策が抜けている
歴史的に雇用対策の柱は、次の4本柱である。
1.大企業の緊急雇用維持
2.中小企業の雇用維持
3.公共事業による雇用創造
4.創業ベンチャーによる雇用創造
この雇用政策の中で、急速に景気が悪化した場合、取り急ぎのツギハギ対策は、緊急の政策としてはそれだけで意味のないことではない。ただ、いずれも未来への投資意義の高いことが求められる。でなければ目先の付け焼刃的な政策は、時間を稼いでいるだけになる。というのも雇用政策が失敗すると、投じた資金が未来から投資回収されないことを意味し、財政悪化になるからだ。つまり、景気対策は、有効な未来投資政策となっているか、将来歴史的に問われる。その点、雇用政策の中でも、創業ベンチャー政策が重要政策となるはずである。ところが今般の日本の緊急雇用政策に、未来を担うべき「4.創業ベンチャーによる雇用創造」が、まったく抜けているように思われる。これは明らかに問題である。
ゆで蛙か、政治の危機感の無さ
今回の金融危機に際し、創業ベンチャーが危機的になっていることに対する「認識の甘さ」があると指摘せざるを得ない。それには理由がある。
第1に、大企業の急激な景気悪化によって、大企業または、その企業城下町たる中小企業に対する政策に必死になるあまり、創業ベンチャー政策まで頭が回らない。
第2に、選挙が近く、選挙対策として即効性のある大企業と既存中小企業への対策を最優先化するムードが高いからだ。票の少ない政策が後回しになるのは、高齢化政策(票が多い)よりも、少子化対策(票が少ない)が遅れるのと似ている。
第3に、オバマ政権に於ける環境産業政策の方向性が、アメリカでは環境ベンチャー政策に向かっているのに、日本では環境事業がエコポイントなど大企業政策と結びついて、新しい産業を育成する方向性に行っていない点。
第4に、ホリエモン・村上ファンド事件により、日本ではベンチャー政策のイメージが悪くなっている点。
第5に、日本のVCの大手は上場しており、ちょうど株主総会シーズンで業績が悪く株価も低迷しているために、自分のことに精一杯で、社会政策まで頭が回らない。
第6に、10年前から始まった大学発ベンチャー企業が、続々と継続不可能となって破綻するなど、予想されたこととは言え、厳しい結果が相次いでいて、役所としてはあまりクローズアップしてほしくない領域であるため。拓銀が破綻し、失われた10年から脱却するために行われた創業ベンチャー政策を矢継ぎ早に打った10年前とは当局の危機感がまるで違っている。
ベンチャーの創業と上場ラッシュ
10年前は政策が行われたか、振り返ってみよう。エンジェル税制(97年)、投資事業有限責任法(98年)、大学TLO法(98年)、新興市場の誕生(99年)、大学発ベンチャー1000社構想(01年)、リクルート問題で強化された上場前規制の撤廃、産官学連携など、矢継ぎ早に整備された。今から思えば当時の政治家も官僚もよく仕事をして、創業しやすい日本の環境整備を行った。
特に99年暮れのマザーズなど新興市場の誕生は画期的だった。おかげで、様々なベンチャーが生まれ上場した。97年、楽天が創業し、2000年上場。500億円近い公募増資が可能となった事が、後の楽天グループ発展へとつながったので、新興市場が無かったら、今の楽天はなかっただろう。
99年DeNAが創業し、05年上場した。もし投資事業有限責任法が無かったら、NTVPは無く、NTVPが積極的に創業投資しなかったら今のDeNAはなかっただろう。99年ミクシィが創業し、06年上場。04年GREE設立、2008年上場。ここ10年で若いベンチャーが日本社会に生まれたことで多くの若者たちが、ベンチャー創業にまい進し、上場もした。統計は無いが、少なくとも数万人の若い雇用を創出しただろう。ただし、グーグル(98年創業、04年上場)などに比べれば、残念ながら世界に名をはせた創業ベンチャーの育成には日本はまだまだ遅れていると指摘されるだろう。
また、百度(バイドゥ、99年創業、05年上場)など中国におけるベンチャー創業の質量の大きさは、日本を遥かにしのいでいる。世界のベンチャー創業戦争だけ見れば、日本はこの10年で善戦したものの、他の国に比べれば見劣りがする。
10年間の政策その後
97年創設のエンジェル税制はどうか。それ自体画期的だったが、ツギハギの制度で使う側にとっては、どう申告してよいのやら、何が対象条件なのか、どう管理すればよいのか、とても分かりにくい。その後徐々に改善はされたものの、使いにくさは相変わらず。所得税と通算が可能になったものの、09年3月大きなメリットだった上場後一定期間キャピタルゲイン減税がなくされてしまい、魅力が後退した。
98年には投資事業組合法施行はどうか。おかげで多くのVCが産声を上げた。NTVPの投資事業組合もその一つであり、組合員に出資額以上の投資損害が及ばないことが法律上明確となったことは歴史上画期的だった。私のような無名の粗こつ者が、堂々と資金を集め、リスク極まりない創業投資にまい進できたのも、投資事業有限責任組合法あってのことだと思う。類似の法律で、合同会社法やLLP法等整備されたが、その後組合の会計処理が減損会計の導入などで、組合の運営が非常に複雑になった。また07年には金融商品取引法が施行になり、投資事業組合も規制が厳しくなった感じが否めない。
98年のTLO法によって、国公立大学の知的財産が棚卸され、画期的に整備された。ところが01年大学発ベンチャー1000社構想によって、大学発ベンチャーが雨後の竹の子のように全国に出来、アンジェスMGやオンコセラピー、フェイスなど一部には日の目を見た上場ベンチャーも生まれたことは注目すべきである。
ただ、補助金目当ての志の低い大学発ベンチャー設立があとをたたず、急速に評判を落とし、残念ながら反省期に入り、大学の教授あたりから、最近積極的な意見が少なくなってしまっている。つまり、若々しい創業ベンチャーを輩出しようという政策的勢いが、10年前に整備されたはずなのに、その後の経過で、最近とみに弱まって来ている。
ホリエモン・村上ファンド事件の後遺症からの脱却の処方箋
さらに、97年創業、2000年上場のオンザエッジ(ライブドア)が、03年から05年にかけて、大規模な株式分割や買収、派手なマスコミ戦略などで世間をある意味楽しませているうちに、06年ホリエモンが逮捕されてベンチャーブームに冷水を浴びせる結果となった。
それが、投資事業組合をトンネルに使って決算を水増しするという手法を使ったものだから、少なからずベンチャー政策への後退が、もたらされたと思われる。06年村上ファンドの事件においては、インサイダー取引のありなしが焦点となった。いずれにしてもベンチャーや投資ファンドというもののイメージを著しく悪くした。さらに今回のアメリカのサブプライム問題が、ファンドの印象を悪化させ、一罰百戒ならぬ、百罰一戒になっている。「疑わしくは罰す」の上場審査は問題だ。
新興市場の株価停滞と上場規制
99年マザーズやヘラクレスの新興市場ブームを受けて全国に新興市場が出来た。それ自体はベンチャー企業に上場機会が増えるから良かった。ところが04~06年に新興市場の上場審査が、一部非常に甘くなったことが指摘されたことや、裏口上場、株主割当や不可解なMSCB(下方修正条項付転換社債)の発行、大幅決算修正などによって新興市場銘柄が信用を落とし、株価が下落に次ぐ下落を繰り返した。一方、06年頃から反社会的勢力つまり暴力団関係の上場は排除しようというところから、上場は厳格化し始めていた。そんな中、07年マザーズに上場した日本発の中国企業アジアメディアの08年上場廃止なども、さらなる上場審査厳格化の大きなきっかけになっただろう。
さらに、07年頃から、反社会的(暴力団)勢力のみならず、「反市場的勢力」という、「証券市場で悪さをする連中」が関与していると上場できないということになって来て審査は一段と「複雑」になり過ぎだ。なぜなら、誰が反市場的勢力か、よく分からないのだ。真面目で努力家の経営者ですら、何が悪いのか上場準備において善処しようが無い状態におかれる事があり、陰湿な「魔女狩り」とも称される。リクルート事件の後、上場規制がひどくなったことがあったが、上場の間口が狭くなるということは単に上場ベンチャーが減るのみならず、上場によって投資資金を回収しようとするVCの産業が成り立たないということを意味し、結果的に創業ベンチャーに投資資金が回らなくなることを意味する。
選挙で創業ベンチャー政策の総点検を
日本が世界に競争力を維持するには、新しい産業のフロンティアを開拓する若い創業ベンチャーを育てる、創業支援型のVC産業を、アメリカや中国に負けず、国内に育成しなければならない。その日本のVC産業が、09年瀕死の重傷を負って、活動を縮小しようとしている。これは、日本の創業ベンチャー企業が未来を切り拓くための、競争的投資資金が枯渇することを意味する。日本が世界のスピードについて行くためには、未来への積極的かつ長期継続的な創業ベンチャー投資が不可欠だ。近視眼的にならず、危機的に弱まりつつある日本の創業政策を、選挙を機会に、今一度総検討することを、関係者に強く要請したい。
著者略歴
日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合
代表 村口和孝《むらぐちかずたか》
1958年徳島生まれ。 慶應義塾大学経済学部卒。84年日本合同ファイナンス(現ジャフコ)入社。98年独立し、日本初の投資事業 有限責任組合を設立。東京を中心にベンチャー企業の創業支援、株式上場支援を行い、ベンチャーカンファレン開催。99年よりボランティア活動として、「青少年起業体験プログラム」を慶應義塾大学など全国各地で実施。03年より徳島大学客員教授。07年慶應義塾大学大学院経営管理研究科非常勤講師。