MAGAZINE マガジン

Vol.14【日の丸キャピタリスト風雲録】日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代 表 村口和孝

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

インフォテリア上場とワイン蔵エアリエルの秘密

(企業家倶楽部2010年6月号掲載)

12年前の創業期人気と27億円増資

 今から12年前1998年NTVP創立の年の暮れ、ロータスを独立し創業したばかりのインフォテリア平野社長と浜松町貿易センターの地下レストランで会い初めてXMLの話を聞いた。HTMLのあまりの単純さに不思議な感じを覚えていた私は、XMLがネットを抜本的に変え発展する予感を強く覚えた。
 99年正月明け、平野社長、北原CTOと、田園調布の外れにある小さなイタリアレストランでインフォテリアの将来性について私が思うXMLの夢を話した。「XMLが、ネット情報空間を単なるワープロ空間から自由に情報の飛び交うデータベース空間に進化させ、もっと自由豊かで安全なものにしたい。誰かがそのデータのフィールド定義をネット上でするならインフォテリアが役割を担おう!」と3人で叫んだ。
 99年3月第1回(12500円)投資から積極的に株価を付け社外取締役に就任し、堀場製作所創業者堀場氏や元ロータス社長菊池三郎氏らと大手町で記者会見をした。99年6月(18750円)第2回増資を経て、7月目黒区に本社移転。平野社長とシリコンバレー訪問もした。8月東京浜松町大門(アイゲイト)で、B2Bソフトウェア(当時マーケッテリア名)をXMLベースで立上げ上場しようと云う事業計画説明会を行い、11月(62500円)証券系VC 等に6億円の第3回増資を行った。この頃DeNAビッダーズ初期システム立上げも手伝っている。

 その頃ドットコムバブルがやって来て新興市場が暴騰し、日本でも2000年楽天が上場して500億円近い公募を実現。熱狂の中インフォテリアは2000年3月ゴールドマンサックス等に株価何と25万円で20億円もの増資をした(第4回)。結果的に未だ上場後も株価25万円を越えてないが、当時は2000年2月ウェブメソッドというXMLソフト会社が高株価でNASDAQ上場してすぐだったからで、あのタイミングではその株価も十分現実的なように思われた。
ともあれ発展の為の手許現金を99年、2000年とVCへの増資で合計約27億円調達したのだ。

キャズム前に米国進出し失敗

 先行期待のインフォテリアは、2000年2月目黒区から大井町に本社移転、4月米国ボストンに子会社設立、10月にXMLに特化したアステリアforRosetta Netを発表した。その年、上場準備を固める為、監査役に上場に詳しい大村卓氏が若くして急逝した親友藤森氏(平野社長を私に紹介した恩人)に代わって就任した。また社外監査役に
国学院大学教授でベンチャー学会の秦信行氏が就任し、シリコンバレー帰りをCFOに起用し、早期上場を目指した。主幹事も決め、上場準備に掛かった。

 米国での事業を商品が十分市場検証されないまま、現地でスタッフを雇い、月間▲数千万円の費用を掛けて拡大しようとした。結果は惨憺たるもので、1年以上赤字の山を築いた。いわゆるキャズムを越える前の戦いを、未検証のまま大規模に開始した。私は当時のCFOに早く現地へ行くように忠告したがなかなか現地を訪問しない事に業を煮やし、01年2月、自分自身でボストン訪問を断行した。状況不明の時は、とにかく現地に行く事が重要だ。

 また、日本国内ではその頃、営業が弱体だと指摘する外部コンサルタントが居て、高い費用掛けて導入したが効果が無かった。商品と顧客市場が十分検証出来てないキャズム前の状況で営業にコスト掛けても結果がおぼつかない事例ではないかと思う。01年春、ようやく充実してきた役員会でアメリカ展開の問題が明確に意識されるようになり、結局現地幹部に来てもらう等検討の結果、取締役会は急ブレーキを踏み、02年5月米国拠点を完全閉鎖した

 しかし既に01年3月期から02年3月期の2年間で、▲20億円の赤字を累積した。毎月1億円近く赤字の山を築いたことになる。現実に現金が残り数億円という所まで激減し、毎月役員会にはリストラが間に合うか、あわや破綻かと云う危機感が漂った。

まずキャズム前の新商品は地道な実績作り
 02年6月、現在のアステリアの原型となる様々なシステムにつながるアステリアR2をリリースし、売上が立ち始めると縮小均衡で何とか出血が止まったが、世間ではITバブルが崩壊し、早期上場ははるか遠のいたように思えた。訴訟の危険などに注意深くしながら米国を閉鎖し、リストラを行い、02年菊池三郎氏を代表取締役会長に招聘した。国内営業も建て直し、役員構成を変え報酬委員会も作った。03年3月決算は、教育事業やアステリアを伸ばしたものの売上約8億円、経常損失▲1000万円となり、大きな累損を抱えたので、株主の了解を得て減資もした。03年仕切り直しで、担当監査法人を代えた。
 04年3月決算は初めて黒字になるかと期待されたが、期末最後に案件が新年度に延期となり、結局売上7億5000万円、経常損失▲1億円と赤字を続けた。20億円以上あった現金はたったの3億円にまで減少した。この2年は非常に苦しい期間で、平野社長も今ひとつ元気がなく、役員会で現金残高予測棒グラフを毎月分析して、地道にアステリア導入実績と信頼を積み上げた。株主の大半は失望して諦めてしまったように見えた。後になって思えば
03?04年が資金の底となった。04年5月インフォテリアと同年創業したグーグルが上場したが、同い年のベンチャーとしては、だいぶ差がついてしまった事になる。

創業来の初黒字達成
 04年後半は優良案件が入るようになり、業績の見通しが立ってきた年で、また05年は変化のあった年だ。1月内部昇格で田中氏が代表取締役副社長に一時就任し、2月にはDeNAが東証マザーズに上場した(現在一部上場)。3月は松下電工ISの出資(株価4万円)が約3億円あり、現金残高が6億円を超えた。業績見通しが良いのに過去25万円で発行した株価が、4万円に下げられる事(ダウンラウンド)は、既存株主としては厳しかったがやむを得ず、反対は出来なかった。
 05年3月決算は売上8億円台に、また経常利益が通期初黒字でかつ1億円を超えた。菊池氏が退任して、松下電工IS元社長濱田氏が社外取締役に就任した。05年9月ストックオプションを出し直し体制立て直しを行った。不思議にも同時期の05年11月ゴールドマンサックス等が投資から5年半を経て、事業提携先に株を譲り完全撤退したが、アステリアの立ち上がりとともに、平野社長は元気を取り戻した。この頃から主幹事証券からヒアリングが始まったが、時間外給与処理等課題があった。
 06年3月も売上約9億円の黒字決算で、6月斉藤CFO、樋口氏らが取締役に、山本氏が監査役に就任し、上場準備体制を固めた。8月にはソーシャルカレンダーc2talk提供開始して、Web2.0のサービスに挑戦し始めた。9月アステリアの導入社数が300社に達し、EAI(システム統合ソフト)市場の国内シェアトップになった。

東証マザーズに上場

 アステリアが順調に市場に導入されて行き、収益も成長軌道に乗った。07年3月期は、売上10億円を初めて超え、経常利益も約2億円を計上した。07年6月インフォテリアは東証マザーズに野村證券主幹事で上場した。その後、10 月中国との連携でOnSheetというクラウドサービスを開始、09年6月Handbook発売。12月にはアステリア採用1000社到達し、2010年3月Twitcal開始して、最近ではiPadやiPhone向けのソフト開発で注目され一時期暴落した株価も再評価されている。

 ある意味、創業当初の「XMLがネット世界を一変し、インフォテリアが縦横無尽に活躍する」という12年前の夢は、Web2.0となり、クラウドコンピューティングと時代が語るようになってiPhoneやiPadが普及してくるに及んで、今やっとその環境が整いつつあると言えるのではないか。


インフォテリア上場記念でワイン蔵開店

 さて、05年DeNA上場を記念で銀座7丁目に「鮨九谷」を開店したが、2年経った07年始め、サラリーマン時代の元部下中川君と再会した。カリフォルニアワインの専門レストランを開店したいと言うので、ちょうどインフォテリア上場記念にと、07年7月新橋に「ワイン蔵TOKYO」を開店した。始めるに当たり、ワインも鮨のことも田舎者で全く知らないのだが、VC投資家の直感から、 ①素材、 ②技術、 ③サービスする人の人柄、3つを一流にする事を約束して貰い経営を任せている。お蔭様で現在もファンが増え経営も安定している。ワイン蔵はカリフォルニアワインを約340種類と業界では飛び抜けた品揃えで、値段も手頃だと評価を頂いている。

ワイン蔵エアリエルの命名秘話

 平野社長と私が出会って、12年が経つ。12年は長いようで短い。一方、ベンチャーキャピタルの投資組合の運用期間は10年間で延長期間が2年で足せば12年である。考えてみれば「一回り年齢が異なる」のは12歳離れているという事である。12年と云うのは意味のある十分長い期間である。小学生が高校卒業するまでの期間も12年だ。12年は運命の一回りなのかも知れない。

 さて、シェイクスピア最後とも言われる名作が「テンペスト(嵐)」である。私は大学生の時慶應シェイクスピア研究会で、この戯曲を演出した。この芝居の一幕二場、主人公のプロスぺローが娘ミランダに、恨み深い情念の過去を、語り始めるセリフがある。 

「12年前の事だ、ミランダ」

 弟に裏切られ暗殺されそうになった主人公は、12年間、幼い娘と無人島暮らしを強いられた。そのプロスぺローが弟に魔術で嵐を起こし、復讐をしようとするが、手下として使っていた妖精に「ここまで苦しめばよいのでは」と指摘され、弟を許して魔術の杖を折る。そのきっかけとなった妖精の名前がエアリエルなのだ。これをワイン蔵の個室名とした。それは誰もが味わう12年間の生みの苦しみを乗り越えるきっかけを与えてくれる、妖精の名前であるからだ。

12年間キャズム超えのきっかけエアリエル

 最初の夢の様に膨らんだ期待から始まって、最初の商品立ち上げに苦労失敗し、キャズムを超える厳しい時間を過ぎ、現実路線を見出す。そのうち未来へ飛躍のきっかけを顧客に見出して、再度キャズム越えに挑戦し、成功して見せて、晴れて上場する。実際私はインフォテリアに12年間で役員会を中心に100回以上足を運んだ。起業家もVC投資家も、この12年間の戦いに結果的に勝利しなければならない。そして誰を恨む事無く、冷静に努力すること。正しく集中的に努力すれば、必ずや未来は何らか大きな成果をもたらしてくれる。私はそう信じている。

 苦しんだり、迷ったりする時、ワイン蔵エアリエルに来て美味しいカリフォルニアワインを味わってほしいと思う。必ずや、何らかの苦しみを脱却するきっかけが聞こえてくるはずだ。インフォテリア投資12周年の今、クラウドサービスが様々なところで花開きつつある。XMLによってネットの世界がもっと自由でもっと豊かになる事を期待して投資したのだから、たまには創業時期の事を思い出しながら、平野社長と美味しいカリフォルニアワインを飲みたいものだ。新橋ワイン蔵のエアリエルの部屋で。

著者略歴

日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合 
代表 村口和孝 《むらぐち かずたか》

 1958年徳島生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。84年現ジャフコ入社。98年独立し、日本初の投資事業有限責任組合を設立。07年慶應義塾大学大学院経営管理研究科非常勤講師。社会貢献活動で青少年起業体験プログラムを品川女子学院等で実施。

一覧を見る