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Vol.21【日の丸キャピタリスト風雲録】日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代 表 村口和孝

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

ある起業家の死を追悼して

(企業家倶楽部2011年8月号掲載)

ある起業家の死
 2011年4月22日金曜日午後、連絡を受けて、まさかと思った。その数時間前の午前一時半、投資先TSS(トリニティーセキュリティーシステムズ)のあれだけ元気だった林社長が突然、クモ膜下出血で倒れ意識不明となったと言うのだ。あまりの突然の事に、たまたま自宅に居た私は家の中で、林社長!林社長!と何度も大声で呼んで回復を祈った。
 27日午前11時取締役会で私が臨時の代表取締役に就任して業務が停滞しない体制をひき、林社長の回復を待つこととした。さっそく連休を利用し、社員全員の面談をし、業務の実態を把握しようとヒアリングを開始し始めた。ところが4月28日木曜日夕刻、林社長は51才の若さで帰らぬ人となってしまった。泣いた。合掌。四月末から始まるゴールデンウィークは林社長のお通夜と葬儀と、事業の理解と新体制構築への準備で全部埋まってしまった。2011年5月は忙しくて一日も休めない月となった。
 ベンチャー企業への投資活動が、いかに驚きと連続だと言っても、こんなことは滅多にない。当然突然の死だったので、私が臨時とはいうものの社長を引き受けることになって、引き継ぎのない暗闇の作業が続いた。他の投資先の仕事を最小限にしても、目が回るほど忙しい事ではあるが、苦痛だとは思わない。週末を利用して、ベトナムへも四国へも行ったが、発見の連続で楽しくすらある。投資家なので無報酬ではあるが、TSS林社長の仕事の後を振り返りながら、創業ベンチャーが何をどうやって実現しようとして来ていたのか、じっくりと振り返る貴重な機会を得た、とも言えるのだ。

過去に無駄なことは何もない
 どんな組織も人間の人生も過去があって現在があり、どんな悲惨な過去の歴史も消し去る事が出来ない。であるならば、過去を堂々と背負って生きよう、と決意する事ではないだろうか。過去の歴史へのトレーサビリティの確保というべきか。とすれば、決意によって過去の歴史は、忌まわしい削除すべき歴史ではなく、無駄なことは何もない宝の山となる。未来への飛躍のための重要な踏み板となるのではないだろうか。それでこそ、学習効果の効いた歴史、組織という事になるのだろう。たった十年とはいえ歴史がある分、豊かな強い企業にならないといけない。解釈と態度一つで、人間の未来は明るくも暗くもなる。

 TSSは過去ハード事業を推進して失敗し、現在は保守のみを行って、別事業を柱にしている。創業十年も経つと様々な過去の仕事の履歴が残っている。辞めた従業員も多く、過去の取引先もあるが、林社長が好い奴だったので、葬儀には多くの人が来てくれた。それを厄介な過去と思うか、宝の山だと思うか、思い様なのだが、そういう事態に直面してまずは「過去の歴史で、無駄なことは何もない」と思う。
 TSSの認証技術は、高知工科大学清水明宏教授が非常勤取締役として独自性とスマートさを持っているし、いざという時のネットによるディスクのバックアップサービス、脆弱性診断サービス、ベトナムのクラウドIT化「iDragon」の開発、TSSパイレーツバスターシリーズによる事業所向けのセキュリティー商品は、事業規模こそ小粒ながら、すでに大企業中心に多くの実績を積んでいる。

社長は、互恵関係の創造が仕事
 社長の仕事をやることになって思うのは、競争の前に互恵関係の重要性である。よく競争戦略などというが、競争を云々する前に、ベンチャー企業は売れる商品を提供できないとお話にならない。商品を提供できるようにする作業は、「仕入先などお取引先や従業員、販売先との互恵関係の構築」である。
 思えば我々は受験や就職で競争させられて来たのかもしれない。マスコミが競争をあおり、人生は競争にさらされているような社会の見方がいつの間にか我々の常識になっていないだろうか。ところが、よく考えてみると、競争は互恵関係があってはじめて成立する。お互いに運動会やオリンピックを互恵関係で成立させてはじめて競争できることを思えば分かりやすい。柔道やボクシングの相手も相手があって試合が成立し、競う事が出来るのだ。だから社長の仕事は、最終的に商品が競争になる事を意識はするものの、まずは「未来の互恵関係を創造する」ことである。
 そのためには、お取引先や顧客をよく知ることが重要である。お互いを観察し、知り合う事でより創造的な互恵関係の構築が工夫される。この互恵関係の商品のやり取りを通じての実現が商取引であり、商品サービスの出荷と売上が伴う事は言うまでもない。つまり、互恵関係が健全で活発で豊かであれば、売上も大きくなるという事である。大きな互恵関係を世の中で探し、結ぶことが企業の使命なのである。

事業機会イコール未実現の互恵関係

 互恵関係は常に満たされているとは言えない。時代の変化や生活の変化に伴って、社会には常に満たされない「未成立互恵関係」が存在する。これが事業機会である。特に新技術が存在するのに、商品サービスとして人々に提供されていない事態はよく観察される。また顧客にニーズが在るのに商品が存在しないか高価である、または商品サービスが存在するのにニーズがない、という事態もよく見かける。
 この互恵関係の不成立には、供給側の理由と、顧客側の理由と両方あり得る。使える製品として完成されていないか、材料が調達できないケースや加工が困難、品質が十分でない場合などが想定される。また、顧客がまだ使用イメージが未学習か、顧客サイドからすると周辺補助商品が市場に整っていないような場合などが想定される。互恵関係が未来において仮説的に見えているのに、未だ実現されていない「未成立互恵関係」の事業、これこそ起業家にとっての事業機会である。
 TSSのケースでいえば、事業所はセキュアなシステム管理を手軽に実現したいといつも考えている。だから、セキュアさが要請される事業所のパソコンやデータの使用を、事業所の情報システムのマネージャーが、簡単にセキュアにフレキシブルに管理したいという要請に応えられるシステムを提供しようと努力している。つまり、満たされていない顧客との間の互恵関係が、TSSの事業機会であり、東日本大震災によって事業所のパソコンやハードディスクが流されたりしたことによって、バックアップセキュリティーサービスなど一部顧客ニーズの顕在化が見られ、それに伴い事業機会は顕在化してきている。

社会変化と事業機会と売上拡大
 技術進歩や人口の増減、経済生活の価値観の変化などによって、社会が根底から変化し続けている。そのいたるところに、「未成立な互恵関係」が存在し、経過する時間の中であらゆる分野に広がっていく。その未成立な互恵関係は経済の連関関係に基づいて連鎖しており、事業機会は歴史の中でダイナミックに広がっている。これが実現されていくお祭りが、歴史上再々現れる、いわゆるベンチャーブームである。
 例えばインターネットの普及とともに1990年代IT革命が広がっていったことを見ても明らかだ。起業家は未成立互恵関係を成立させることを目指して、ブラウザを供給し、検索エンジンを市場投入し、ECサイトを開始した。それが、後に花を開き、起業家とベンチャーキャピタルに大成功をもたらした。日本でも、携帯iモードの出現が「未成立な互恵関係」を生み、多くのベンチャーを出現させた。つまり、これが成長の原動力であり、成功の原因である。
 私の過去のベンチャー投資を振り返ってみても、「インターネットの普及とXML技術の普及によってブラウザによってネットで出来る事が飛躍的に豊かに、インタラクティブになる」という見通しからインフォテリア(2007年マザーズ上場)への創業投資を行った。DeNA(2005年マザーズ上場、現在東証一部)は、携帯でゲームとSNSを楽しめるように、という当時「未成立な互恵関係」を実現し成立させることで、上場後急成長を見せた。

 新フロンティア事業か社会的旧事業か

 「未成立な互恵関係」から事業機会を発見するとして、実際起業家が事業を選択する時、「一匹目のどじょう戦略」と、「二匹目のどじょう戦略」がある。どっちを選ぶべきだろうか?

 1.「一匹目のどじょう戦略」
 世の中で全く新しい初めての事業に挑戦する。

 2.「二匹目のどじょう戦略」
 新しい分野で誰かが成功し始めたので、それを参考に新事業に挑戦する。(社会的旧事業)
 
 第一の選択「一匹目のどじょう」を狙うのは、当たれば先行できパイオニアとなるが、非常に困難な道である。なぜなら、製品の供給側の準備が出来ていないだけでなくて、顧客側で想像できない商品の為、まだ購入準備が整っていないからだ。いばらの道を覚悟しなければならない。多くの場合、三年程度で実現すると思っていた事業は倍の六年はかかり、十億円の売り上げを見込んでいた事業は一億円の売上すら立たない。これが、すなわちキャズム超える前世界の議論である。競争がほとんどない代わりに、互恵関係が成立するための条件が整い切っていないのである。
 「二匹目のどじょう」を狙う戦略は、参考にする先行者が存在するので、事業の特性が観察しやすく、顧客は既に学習済みで新商品の事を教えるコストが少なく、商品を提供するための事業の提携先も社会に存在する。ただ、場合によっては競合先が多すぎて、乱売合戦に巻き込まれる危険性がある。
 成功のポイントは、「学習済み一匹目のどじょう戦略」にあるかもしれない。これは、すでに顧客も供給側も別の領域や地域で学習済みである商品やサービスを、まだ提供されてない市場で最初に提供する戦略だ。「中国やインドなど巨大市場では一匹目のどじょうなのだが、供給側も顧客側もすでに先進国で学習済み」という戦略は、リスクが少なく大きくあてる可能性がある。ソフトバンクでは「タイムマシン経営」と呼んでいるようだが、「未成立な互恵関係」から整理し直すと分かりやすい。

起業家の死を追悼する
 2011年4月28日TSSの社長の急逝によって、突然社長を引き継いで事態の収拾に当たることになった。引き継ぎも何もない中で、起業家の仕事について考えさせられる機会を得た。引き継いで、土日をつぶして一か月かけて社員全員と面談し、顧客および顧客候補を訪問し、商品一つ一つを理解しようとしてみた。
 その中から、役員会に出席するだけでは分からなかった現場の立体的な状況が明らかとなって来て、私なりに未来のTSSを再構成しなければ、ともがいている。その中から、競争を考える前に互恵関係の創造を考えなければならない、と思うようになり、起業家の役割は「未来の未成立な互恵関係をマッチングさせることだ」と考えるようになった。さらに会社の役割だが、「未来の未成立な互恵関係のマッチングをミッションとして、役員や株主や従業員や取引先など経営資源をステイクホールダーとして組織するための道具だ」、と理解しなおせばわかりやすい。
 であるにもかかわらず、道具として作られたはずの組織のルールが独り歩きし、未成立な互恵関係のマッチングという起業家の使命を忘れた時、組織は人間の行動を不合理にしてしまう。TSSという組織は私に社長のバトンが渡されて、ネットセキュリティーというフロンティア領域で、まだ満たされていない未成立の互恵関係を成立させようと役職員が必死になって努力している。そういう姿を見るにつけ、起業家の一生と死と、努力の軌跡を振り返り、彼が目指そうとしたセキュリティーのソリューションを世の中で実現させたいと思う。それは必ずや成果を生み、社会的に価値を持つはずだ、というベンチャーキャピタリストの思いは、プロにして決して感傷に浸っているわけではない。合掌。

著者略歴

日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合 代表 村口和孝 《むらぐちかずたか》 

1958年徳島生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。84年現ジャフコ入社。98年独立し、日本初の投資事業有限責任組合を設立。07年慶應義塾大学大学院経営管理研究科非常勤講師。社会貢献活動で青少年起業体験プログラムを品川女子学院等で実施。

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