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(企業家倶楽部2011年10月号掲載)
プリンストン大学美術館で考えた
2011年8月6日、私は投資先の提携を相談するため、アメリカ、ニュージャージー州プリンストン大学キャンパスに居た。初めての訪問なので、提携予定先の幹部の勧めで、一緒に大学美術館を見学することにした。無料だし空いているしで気軽に入ったが、展示されている美術品の質の高さに度肝を抜かれた。セザンヌ、モジリアーニ、モネ、シスレーなど印象派から、エジプト、ギリシア、ローマ、中国、日本の浮世絵、南米、アフリカ美術、現代美術まで網羅していた。世界の芸術史の中で、日本の芸術にも独特な存在感がある様に感じた。私の好きな印象派絵画の前では、感動して鳥肌が立った。全く突然の美術館訪問で、安藤広重やモジリアーニと予期せず出会えるとは、人生には意外な展開が待っているものだ。
さて、キャンパスで考えた。世の中に駄作が多くてすぐに消えて行ってしまう厳しい世の中で、このようないつまでも人類を感動させ続ける芸術品は、どのようにして生まれるのだろうか。その条件とベンチャーが成功する条件に共通点があるのではないか。芸術作品は、ビジネスの世界では、新発売すべき商品である。ベンチャーキャピタリストがいくら投資先に何年も延々と資本を投資し続けても、全く結果が出て来ない場合がある。その一方でどうにかして事業が大成功する場合がある。芸術がなぜ誕生するかという問いは、投資先がどうすればヒットする商品が生み出せるのか、という問いと同じではないか。そこでしばらく、芸術が成功する条件を考察したい。
芸術家の卵と、創作テーマが必要
素晴らしい芸術が成立する条件とは何だろうか。セザンヌの絵画にしても、ショパンの音楽にしても、シェイクスピアの戯曲にしても、何もない所に突然芸術が出来る訳がない。であるから第一条件は、まず「創り手としての芸術家の卵が、世の中に存在している」ことがどうしても必要だろう。大器晩成型もないではないが、多くの芸術家は早ければモーツァルトの様に幼児期から、遅くとも二十代に頭角を現す。そういう優れた芸術家の卵が、同じ学校か街の中に複数居て、刺激し合う状態が望ましい。偉大な芸術の誕生にはライバルとの切磋琢磨も重要である。
なお、芸術家としてのプライドとエネルギー、そして新しさによって、世の中から変人や狂人扱いされることもあるだろうが、社会の中で彼らの存在を抹殺せず、肯定する環境が必要だろう。数学者や物理学者が生まれる為にも、アインシュタインが晩年を過ごしたというプリンストン大学の環境など理想的だ。
第二に、彼ら芸術家が作品の製作を始める前に、彼らの中に、作品についての「強烈な創作アイデアとテーマ、イメージが出来る」ことが必要だ。そうでなければ、準備などできない。おそらくそれは、芸術家としての日々の生活の中から、芸術の情熱と共に溢れて来るものなのだろう。こんな絵を描きたい、こんな曲を作曲したい、こんな劇をやりたい、こんな作品を作りたい、とイメージする。それが生々しくエネルギーが溢れていればいるほど、作品が出来る可能性が高まるだろう。
芸術を歴史的に振り返ると、長く、聖書など宗教の物語と政治が、創作のテーマだった。当然、絵であれば仏像やマリアの像や、政治の実力者などがよく描かれた。さらに中世以降、ルネサンスや大航海時代の世界の交流によって、様々な文明圏の芸術衝突があちこちで起こり、相互に芸術を刺激し合った。例えば日本の浮世絵がヨーロッパの印象派の絵画等に影響した事はよく知られている。芸術の世界では、素晴らしい作品が、さらに新しい創作活動を誘発する。シェイクスピアやビートルズが、どれだけ他の芸術活動に刺激を与えたか、想像すればわかる。アイデアや、強烈な制作イメージが偉大な芸術を生む出発点である。
スポンサーと発展ストーリー
第三に、「優秀なスポンサーと発展のストーリー」だ。芸術家が作品を作成するにも、先立つお金(資本)と時間が必要だ。歴史的には、資本を持っている教会や寺、王様や政治家、メディチ家を代表とする商人など資本を集積し使える者が、それぞれの時代で芸術家の創作活動を長期に渡りバックアップして来た。作品の規模が大きくなると、当然大きな資本の支援が必要になる。明らかに、偉大な芸術が生まれる背景には資本家のサポートが不可欠だ。
同時にそのスポンサーのレベルが低いと発展は難しい。ビートルズに関して、元レコード店店主のブライアンエプスタインがマネージャーを買って出なかったらビートルズの活躍はここまでではなかった。スポンサーは、賢くて優秀でなければならず、未来が不確実で計画不能なことなどよく分かっている。そのスポンサーとの共同作業をするには、発展のストーリーが必要だ。スポンサーの目的は金銭か社会貢献だろうが、いずれにしても納得できるプロジェクトでなければ良いスポンサーは協力してくれない。
第四は、作品を制作する「材料がそろっている」事である。あらゆる芸術活動に材料が必要で、なければ作品を作る事が出来ない。例えばビートルズにとって、エレクトリックギターとアンプなど楽器の発展や、音楽レコードプレイヤーなどがなかったら、ロックを作曲し、世界に影響しようにも、どうしようもなかったろう。シェイクスピアに必要な材料は、役者と舞台だったろう。それなりの役者がそろっていなければ上演すら難しい。
製作技術と下積み実績
第五に、「作品制作技術」である。ショパンが作曲するのに、ピアノを弾けないではどうしようもない。素材から作品を作って、実際に見える、聞こえる、楽しめる状態に仕上げるためには技術が必要だ。その技術如何によって作品が良くも悪くも仕上げられる。卓越した技術力が、歴史的に重要である。もちろん自分の技術だけではなく、内外の協力者、つまりスタッフや下請けの技術サポートがあってはじめて可能になる。協力者のレベルも高くないといけない。
第六に、「複数の制作実績と芸術家の人柄」だ。一つや二つ作って、それが仮に評判が良かったとしても、十分なノウハウが出来て、制作実績が積まれた訳ではない。素材業者など内外の協力者とのまだまだ不十分な連携も、複数の製作実績を積む事でだんだんノウハウが蓄積され、徐々にコツがつかめ、制作手順がこなれて来る。いわばバリューチェーン確立への取り組みだ。ビートルズにしてもシェイクスピアにしても、若い頃ある程度闇雲と言っていいほど、毎日毎日作品を作り続ける多作な時期がある。そこで制作の技量が磨かれる。
また、製作実績が出来るということは、芸術家の「人間性や人柄」がある程度優れた者になった、という証拠でもある。周りから愛されるくらいのものを持たないと、制作を協力しながら続けられない。最初若い頃は、職人型の閉じ籠った人柄だったかもしれないが、成長するとともに人柄が磨かれて行かないと、多作は難しくなる。
鑑賞者とファンの存在
第七に、「鑑賞者の観察」だ。あらゆる芸術家は、鑑賞してもらうことを前提に作品を制作している。月に基地が在って、人類が一人で生活して居て、鑑賞者が自分一人だったら、創作活動は貧弱なものになるだろう。誰が鑑賞者であるべきか、芸術家の作品仕上げの仕方に大きな影響がある。当然発表することで、芸術家は鑑賞者をつぶさに観察することになる。ビートルズは最初の頃バイトでハンブルグに毎年巡業し、一日に何時間も酒場で英語の分からないドイツ人を相手に毎日演奏し続け、鑑賞者がどんな連中か、どうすればどのくらい、どんな風に観客にうけるか、体験的に学んだ。いわばビジネスにおける消費者心理をつかむコツとカンを身に付けた。
この中には社会に影響を与える有名な批評家などもいる。場合によっては酷評にも耐えなければならない。しかし一般に、厳しい辛口の鑑賞者こそ、大成する為に重要な鑑賞者である。
第八に、「熱心なファンの存在」だ。どんな芸術家の卵も、最初から絶賛されて順風満帆などとはいくものではない。当然一人前の芸術家として認められる前、そして認められた後も、創作活動には良い時と悪い時とある。どんなに厳しい中でも、熱心に支持してくれる熱心なファンの存在は、とても重要だ。とりわけ新しい革命的革新的な活動を、世間から認められる前に支援してくれるファンの存在は、苦しい時代を乗り越えて、鑑賞者全体が新しさを受け入れてくれる困難な時代を、何とか乗り越えさせてくれる。
さらに最初の熱心なファンは、なかなか新しい芸術を受け入れようとしない保守的な人たちに対する時代の解説者になってくれるのみならず、時には攻撃者から芸術家が身を守る盾になってくれる。アップルコンピュータのエバンジェリスト(伝道者)の存在はアップルのプロモーション上きわめて重要で、それはビートルズの熱狂的なファンを彷彿させる。
名声と、歴史的作品へ
第九に、何しろ偉大な芸術が誕生するには「評判と名声」が重要である。作品が成功し、それが連続するようになると、評判が定着して来る。それがきっかけとなって、大きな仕事にとりたてられるとか、賞を貰うとか、いわゆる評判が評判を呼ぶ状態となる。いわばブランドロイヤリティの確立だ。いわばキャズムを超えた状況にたどりつけた、ということだ。
しかし、だからと言って、この事だけでは、評判が長期に継続し、数世紀に渡って後世に名を残す偉大な芸術を生み出せるかどうか、時代はそんなに甘くない。単に流行の波に乗っているだけかもしれないからだ。また成功で気が緩んで失敗することもある。
第十に、「歴史的名作の制作」である。
人生の中で佳作や秀作を作っているうち、どこかで「歴史に残る名作」にまでたどり着ければ、その芸術家は偉大な作品を誕生させた事になる。シェイクスピアのマクベスやリア王など四大悲劇、ビートルズのヘイジュードやレットイットビー、ベートーベンの第九交響曲合唱、レオナルドダビンチのモナリザ、モネの睡蓮、ゴッホのひまわり、などは世界中の皆が知っている。ビジネス的に言えば、売上も利益も株価(時価総額)も大きいプロジェクト、と言えるだろう。
新事業、新製品が大成功する条件
芸術家が歴史的名作を生みだす条件は、創業ベンチャーが成功する条件にまったく同じだ。
1、芸術家の卵が、世の中に存在している
2、強烈な創作アイデアとテーマ、イメージがある
3、作品制作技術がある
4、優秀なスポンサーがいて、発展ストーリーがある
5、制作の材料がそろっている
6、複数の制作実績と、芸術家の人柄
7、鑑賞者がよく観察されている
8、熱心なファンが存在する
9、評判と名声を得る
10、歴史的成功事業にたどり着く
ベンチャーの世界に翻訳すれば以下の様になる。
1、起業家の卵が、世の中に存在している
2、強烈な創作アイデアとテーマ、イメージがある
3、商品製造技術がある
4、優秀な投資家がいて、発展ストーリーがある
5、商品製造の材料が仕入れられる
6、複数の製造実績と、起業家の人柄
7、顧客を徹底的に観察する
8、熱心なファンが存在する(エバンジェリスト)
9、評判と名声を得る(ブランドロイヤリティ)
10、歴史的成功事業にたどり着く
こうやって芸術家の成功に関連付けてベンチャー創業の成功の条件を探ってみると、いずれも所詮古今東西人間がゼロから社会の中でもがきながら、人生を掛けて、何かインパクトのある凄い事を実現しようとしているだけなのだから、経過が同じで当然だ。これはつまり同時に、「日本人だから創業に向かない」などというバカげた議論に終止符を打つべきだ、ということも強く示唆している。
著者略歴
日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代表 村口和孝 《むらぐち かずたか》
1958年徳島生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。84年現ジャフコ入社。98年独立し、日本初の投資事業有限責任組合を設立。07年慶應義塾大学大学院経営管理研究科非常勤講師。社会貢献活動で青少年起業体験プログラムを品川女子学院等で実施。