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Vol.24【日の丸キャピタリスト風雲録】日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代 表 村口和孝

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

世界を切り拓く永久ベンチャーDeNA 横浜DeNAベイスターズ誕生と強さ

(企業家倶楽部2012年1・2月合併号掲載)

横浜DeNAベイスターズ誕生と強さ

 2011年12月2日DeNA春田さんが「横浜DeNAベイスターズ」誕生の記者会見をしているところを、PTPの特許全録検索レコーダー「Spider Pro」で、あとからまとめて見た。DeNAというキーワード検索するとたった数日で累積百回以上の報道がテレビでなされていた。野球のオーナー会議では、DeNAという新しい企業による球団オーナーへの就任が、新しい時代への移行を促進することを期待する旨の、歓迎コメントもなされていた。

 ベンチャーキャピタリストとしてDeNAが1999年創業した時に支援をした私としては、春田さんの記者会見の笑顔を見て、素直に大変うれしいと思う。創業期1999年ー2003年の事業立ち上げに、大変苦労したDeNAが、プロ野球の球団を持てただけでも、ちょっとやそっとであり得ない事だし、素直に嬉しく思ってしまうのだ。自分が関係した創業ベンチャーが、経済社会で活躍する事は、ただただスゴーイ、良くやった、と思ってしまう。
 野球の事は良く分からないものの、一つだけ言える事は、DeNAは事業の立上げで、大変苦労してここまで来ているので、ちょっとやそっとのサラリーマン上場会社とは、ハングリー精神や困難を乗り切る決断力の点で、全く異なり、相当にしぶとく強靭だ、ということである。おそらくその根性が、「横浜DeNAベイスターズ」に乗り移れば、野球をやっても強いのではないか、と思う。

DeNA苦難の事業立上げストーリー

 今でこそモバゲーで有名なDeNAも、1999年の創業当初はものすごい苦難のスタートだった。マッキンゼーで売れっ子女性コンサルタントだった南場智子さんが川田さんら仲間と始めた当初の事業モデルであるインターネット有料オークションサイト「Bidders」は、システムの立ち上げで見事に失敗した。マスコミに公表していたカットオーバーの日(1999年11月29日)には私も手伝って何とか間に合ったものの、当初のシステムは機能が限定されている上に、サービス料が高くて不評だった。(その頃守安さんが入社した。)また、発表するのが早過ぎて、準備をしているうちにヤフーオークションにサービスの投入で先を越されてしまい、2000年春、いくら十億を超す追加の資本をファイナンスで集め、莫大な出品費やプロモーション経費を投入し追いかけても、市場の主導権をとることは出来ず、赤字を積み上げた。売上が月に1千万円程度なのに、赤字額は毎月5千万円前後だった。(その最中に春田さんが入社した。)2001年春には倒産寸前の危機を味わった。(増資で乗り切った。)2000年春、他のサイトのオークションサイトの共通プラットホーム化を目指し、ヤフオク以外連合を築こうとしたが、大した業績を生まなかった(XMO事業)。2001年春、ヤフオクが有料化を発表したので、無料化のキャンペーンやクラブビッダーズ(CB)事業開始などで、実際にヤフオクが有料化した2002年にかけて勝負を挑んだが、それでも追い付くことは出来なかった。

 また、2001年春始めた中古品の買い取りを実際に店舗と協力して行う新事業(おいくら事業)も十分期待の収益を生まなかった。2003年創業以来パートナーを結んでいたリクルートが抜けインデックスと代わったが、楽天みたいなショッピングモールEC事業を全国展開し、ECに関するソリューションコンサルティング収益を得る事で、何とか単月黒字にたどり着けた。2003年には減資もし、このころ上場そのものの是非が議論の対象になり、疑問視された時期もあった。

DeNA上場、モバゲー成功と創業者の社長退任

 2004年春、ビッダーズ出品数が100万品を越し、本社を移転し、携帯オークション「モバオク」をリリースした。市場から大きな反応があり、PCオークションとは異なる客層がいる事に気がついた。また、ポケットアフィリエイト(モバイル広告)など新しいサービスを開始した。実際に顧客調査をしてみてDeNAは携帯電話サービス市場に、まだ大きな未開発の可能性がある事に目覚めた。いったんは疑問視された上場が、モバオクの成功によって実現したのが2005年2月である。

 DeNAが売上30億円程度で上場した頃、創業者の南場社長(当時)が掲げた売上倍増拡大計画が、数百億円規模と桁違いに大きかったので、現在の守安社長(当時取締役)などから、現状の延長線では駄目だと出されたいくつかのアイデアの内の一つが、2006年2月開始のモバゲー(モバイルSNS)である。モバゲーは開始早々会員が爆発的に伸びた。その後売上が100億円を超えて、2007年12月東証一部昇格した。

 2008年には初台に移転し、SNSの社会問題へ対応する為カスタマーセンターを設立した。(2008年7月iPhoneが日本で発売され、以降携帯はスマートフォンの時代を迎える。)9月には英語圏向けのMoba M ing le 試験を開始した。2009年モバゲーのオープン化を決定し、10月にはソーシャルゲーム「怪盗ロワイヤル」開始。2010年、米国ngmocoを子会社化して進出を本格化した。2011年売上がとうとう1000億円を超え、創業者の南場智子さんが代表取締役を退任して、守安社長になった。

DeNA成功の要因

 振り返ってみると、DeNAが成功したのは、決して偶然ではなかったと思う。そこで、VCとして創業から苦楽をともにしながら支援をして来た経験をもとに、私なりに、当社が成功した要因をいくつか考えてみた。

1 時代変化に敏感となって、ネットの大きな時代進化の最先端で、顧客市場の将来性を大きくとらえて、特に若い顧客の新体験(エクスペリエンス)実現を広く、担おうとして来た

2 技術的共通プラットホームから、エンドユーザである顧客サービス、課金まで、他社任せにせず、事業全体を、自分達で合理的に考え判断しながら、主導的に担おうとして来た

3 主体性を失い、群れて横に並ぶ思考の堕落に注意し、事実に基づいて経営合理的に判断をし、分からない事は分からないと正直に認め、正々堂々とビジネスの闘いを避けず、伝統や過去の成功、狭い業界や地域の常識、意味の無い集団思考にとらわれる事を拒否し、大企業病官僚病ガラパゴス病にならないよう注意して来た

4 社会的に正しい姿勢で新規事業に取り組み続け、より高い業績をあげる事、より高い売上をあげる事が社会的に価値がある(売上や資本を否定的に捉えない)、というシンプルかつ基本的な道筋を追求し、時には社長自らが売り子となって、成長して来た

5 社長(創業者)が売上や利益目標など会社の方向性に対して責任を持ったリーダーシップを発揮し、事業の取捨選別の判断については、それぞれの現場責任者が事実とロジックに基づき最善の事業提案をし、中間管理職などが徹底的に経営合理性に基づいて最善策を導くべく議論し判断して来た

6 若手の才能のある人を採用し、個人の能力を極限まで引き出し、必死で働く事で、数人であっても新事業の立上げ可能で、結果的に高い業績が達成できるとの信念を持ち続け、高い仕事レベルと、最高のパフォーマンスを目指して来た

7 人を信じ、感謝の気持ちを大切にし、VCや事業提携先と共存共栄を図り、借金を避けて、極力無駄を省き、売上と利益を確保して、財務的に健全さを確保して来た

 参考までにDeNA Quality という表明を当社のホームページから引用する。

 DeNAでは、「世界を切り拓く永久ベンチャー」というビジョンに基づき、以下を「大切にしていきたい考え方」として社員と共有しています。
球の表面積

 自身が担当する領域において、DeNAを代表する気概と責任感を持つ。

全力コミット

 2ランクアップの目線で、組織と個人の成長のために全力を尽くす。

透明性

 チームワークとコミュニケーションを大切にし、仲間への責任を果たす。

発言責任

 階層にこだわらず、のびのびしっかりと自身の考えを示す。

最後の砦意識

誰かにチェックして貰うことを前提とせず、高いプロフェッショナル意識を持って仕事をする。

頑張れ横浜DeNAベイスターズ

 当社の成功要因を球団経営に当てはめると、きっと伝統的な球界にとって、面白い活動をやってくれるだろうと期待される。モバオクやモバゲーなど、DeNAがこれまで創業以来成し得た事は、伝統的な歴史あるNTTドコモやパナソニックでは成しえなかった事である。それらの日本を代表する優良企業は、いわばガラパゴスと言われ、細かな申し合わせや過剰コンプライアンス、過剰品質神話、組織ローカルルール、排他的気分を重視し過ぎ、つまりは「日本ルールに過剰適応」して来過ぎ、時代変化のイノベーションを担う事が難しくなって来た。DeNAは創業期の困難克服の強烈な体験から、時代の中で生き延びる、妥協しない厳しくシンプルな経営合理性のDNA(遺伝子)を身につけて来た。

 細かい複雑なローカルルールに過剰適応した携帯電話が、スティーブジョブズのアップルによって、シンプルなiPhoneに席巻されてしまうように、シンプルな合理的なDeNA 的な球団経営が、横浜DeNAベイスターズを強い球団にするだろう。また、冒頭紹介したPTPの検索全録HDレコーダーのSp iderも同じ方式で時代を切り拓くイノベーションをやってのける事を、VCとして期待しており、支援し続けている。
 頑張れ、横浜DeNAベイスターズ!

著者略歴

日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代 表 村口和孝《むらぐち かずたか》

 1958年徳島生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。84年現ジャフコ入社。98年独立し、日本初の投資事業有限責任組合を設立。07年慶應義塾大学大学院経営管理研究科非常勤講師。社会貢献活動で青少年起業体験プログラムを品川女子学院等で実施。

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