会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2012年8月号掲載)
サラリーマン経験者のベンチャー創業の悩み
私のところには、ベンチャー創業や、事業本格的展開したいとのサラリーマン、または出身者からの相談が多い。サラリーマン生活に数年でも慣れてしまった人がベンチャーを創業する場合、なかなかサラリーマン感覚が抜けないという症状に悩む人が多いように思う。良く見かける症状を列挙する。
1.経理は、専門の伝票がないと出来ないと思う。
2.事業計画は、計画部門が作るはず、と思う。
3.役員と、社員(労働者)の区別が出来ない。
4.払う給料や報酬を、自分で決めにくい。
5.組織の専門部署がないと仕事できない、と思う。
6.決済は稟議制度がないと出来ない、と思う。
7.株式発行の仕方や比率の意味が分からない。
8.取締役会で何を話してよいかわからない。
9.役員も労働基準法に守られていると思う。
10.事業内容や組織は変えてはいけない、と思う。
11.法務部がないので契約書が作れない、と思う。
12.登記や税金の処理は、出来ないと思う。
などなど、戸惑うどころか、サラリーマンの妙な癖がついてしまって、体と頭がどうにも、起業家としていう事をきかないようだ。サラリーマンがこの混沌とした広い社会の中に放り出されたとき、素直に、ゼロから創造的に、自分を生かして、自由闊達に、ベンチャーの創業が出来なくなっているようだ。
サラリーマンは何に従っているか?
受験勉強を経て大学に進学し、就活を経て、名の知れた上場企業に就職した新卒サラリーマンは、組織の人事部の監督下で新人研修を受ける。その際、就業規則を学ばされ、服務規則や機密情報漏えいしないように、まじめに仕事しろとか、業界の法律を守れとか、給料が毎月源泉徴収税を引かれて口座に振り込まれるとか、教わる。
入社研修が終わるころ、組織の中のどこかの部署に配属になる。そこには上司が居て、ミーティングがあり、新人歓迎コンパで新人受け入れが終わる。部署には計画があり予算があって仕事をし始める。その間、サラリーマンは、以下の指示、命令に従って行動する様に、徹底的に訓練される。
1.上司の指示に従う
2.組織の規則ルール、業務分掌に従う
3.会社の使命に従う
4.組織の計画に従う
5.部署の予算に従う
6.会議の決定に従う(時に多数決)
7.前例に従う(「前回処理と同じ」と言うと通る)
つまり、サラリーマンは会社の中でオペレーターとして、決められたことを毎日毎日、組織人として、指示、命令に従い、効率よく実現することを求められる社員である。
逆に、就業規則にのっとって勤務している限り、労働者としての労働基準法の保護を社会的に受けられ、場合によっては二十歳台の新卒から、六十歳台の定年退職まで、人事異動と昇給、出世を繰り返しながら、比較的安定的に会社が生活の面倒を見てくれる。いわばサラリーマンの憲法は、努めている会社の就業規則である。だから、サラリーマンは出張手当がいくら出るか、転勤すると手当がいくら出る、など細かいルールには非常に敏感である。
徹底的なサラリーマンの教育によって、組織に従い、従うことで出世していく労働基準法に守られた生き方が板につくと、起業家が自然に身につけなけばならない「事業脳」を働かせることが出来なくなってしまうようだ。
管理され過ぎた サラリーマンの弱さ
組織の業務分掌の遵守ルールは強烈で、いかに自分が関わっている事業で画期的なことを考え付いても、人事異動が不合理だと思っても、計画に明らかな無茶があっても、職務以外の仕事をしたり、計画と異なることを組織の中で実行することは、許されない。逸脱すれば懲戒免職、従えば一生安泰、組織人は苦労しながら不合理をのみこむ必要がある。
昔の日本の会社組織は、厳格だが今よりももっと緩く、組織の命令に背いてでも会社の使命実現のために活躍する不良社員のビジネスマン武勇伝が多かったように思う。海外で買い付けに成功した社員が、貨物船の上に酒を持ち込んで、航海中ずっと酒宴を開いていたとか、仕事の出来ない胡麻すり上司を会議室で殴ったとか。三日三晩不眠不休で開発し続けて、やっと商品が出来たとか。仕事の本質や、人生の本質を愛したサラリーマンたちの 物語が、美談として伝わる許容力が、日本の過去の社会にあった。
それが一転して、IT環境の高度化と、個人情報保護、反社会的勢力との関係禁止、系列取引解除、談合の禁止、ガバナンス、内部統制、情報セキュリティーの普及、労働基準法遵守とともに、非常に厳格にサラリーマンが、ルールとシステムで管理されるようになった。持ち前の日本人の高品質さと真面目さが裏目に出て、サラリーマンは、常時ITで監視されながら、計画組織経営の単なるオペレーターに落ちて、力を失ってしまったようだ。これは、日本社会にとって良い事ばかりともいえず、基本的な企業活動のみならず、社会全体の経済活力の低下を招いている。まじめだけど魅力がない、とか、品質はいいけど革新的でないとか、規律正しいけど儲からないとか、言われる日本の経営の原因の一つではないか。
日本人は本当はわかっているのでは?
サラリーマンの日本人は、変な組織人の癖に基づいて、非常に不合理な事業を、駄目だとわかっていながら、組織のルールに従い、組織決定のせいにしながら、平気でやむなく不合理なことを実行する。しかし、その当のサラリーマン個人個人は、実はおかしいと、よく分かっている場合が多い。多くのサラリーマンが、少なくとも組織論理の結果的おかしさに気が付いていて、認識能力が劣っているとは言えない。
ただ、ほとんどの日本人サラリーマンは、分かっていても組織を変えられないし、諦めて、組織に過剰適応しているように見える。おかしさをわかったまま組織に適応して放置していると、場合によっては、自己矛盾に陥り、うつ病になったり、自殺したりする人すらいる。
2005年4月、JR西日本の脱線事故に乗り合わせたJR西日本サラリーマン運転士2名は、近所の会社の人たちが必死で脱線事故負傷者を救出している最中に、救出活動せずに、業務優先で勤務場所に行って勤務に就いた。また日本航空には過去、労働組合が十以上あり、採用された新人がどの労働組合に入るか泥仕合になると聞いたことがある。末端がそれだから、日本航空全体がまともに経営出来ておらず、2011年1月会社更生法申請した。そういうおかしさを、当の日本人はわかっているし、どうにかしなければいけないと思いつつ、組織に阻まれてどうしようもないでいるのではないか。
主催者としての会社全体観の欠如
起業家は、組織人としてのサラリーマンのような、わかっていて不合理な生き方は出来ない。なぜなら、不合理な経営は、余裕のないベンチャーにとっては、即会社の破綻を意味するからだ。このことから整理し直してみると、起業家精神というものには、二通りの重要な意味があるように思う。
まず第一の意味は、経済合理的に、毎日毎日、信頼を失わないように、真面目にあらゆる局面全体を同時に経営する、企業経営主催者としての覚悟と、地道な良識的な精神である。
第二の意味が、新しいフロンティアを切り拓く、燃える魂で挑戦する、キャズムを超える創造的チャレンジ精神の意味である。どちらも起業家にとっては重要だが、サラリーマン出身者が基本的に欠けているのは、第一の意味の「あらゆる局面全体を同時に経営する」全体観である。起業家にとって、会社は、部分部分の分業した組織機能の集まりではない。フランケンシュタインは想像上の生き物だ。会社は、全体が一つの使命を持った、社会という環境の中に、雪の様に変幻自在に形を変えつつ最適化された生き物のような全体である。
5W1Hで全体観経営を取り戻せ
三方よし、は「売り手よし、買い手よし、世間よし」という近江商人の精神だと言われる。これを私なりに起業家の会社主催者としての全体観に置き換えると考慮すべき次元を、5W1Hにまとめられるのではないかと思う。私も多くの起業に関係して来て、良い事も悪い事も、様々な局面を体験したが、会社の全体性について、これ以外にうまくまとめようがないと思うが、いかがだろうか。
1W.満足していない顧客のWIN
2W.仕事を受注したい仕入先のWIN
3W.事業者自身(商品サービス提供者)のWIN
4W.増やしたい資金出手(銀行株主)のWIN
5W.働きたい従業員のWIN
1H. どうやって?いくらで?どんなストーリーで? どんな契約で?全体最適化を見出すか?
起業家は、この5W1Hを同時に実現するために、ありとあらゆる努力をする使命を負っている。これをどれかおろそかにした会社は、いずれおかしくなる。その原因は、次の三つのうちどれかだろう。
1.そもそも考え方がおかしい
2.意図的に誤魔化しトリックしようとしている
3.サラリーマン的組織セクショナリズムが害してる
5W1H全体観経営は、環境変化により常に最適解が変わって行くために、絶えず変更努力が必要だ。しかし、その全体最適化努力は、関係者ステイクホルダーに理解されるため、協力者が多く、苦労だらけだが楽しい活動の連続だし社会的理解も得やすい。なぜなら、5W1Hの実現は、経済社会をさらに良くし、社会の問題を解く事だからだ。同時に、これこそが事業機会でもある。ベンチャーキャピタリストの活動も、当然その上に立たなければならない。
「自分のことよりも先づお客のためを思って計らい、一挙に高利を望まず、何事も天道の恵み次第であると謙虚に身を処し、ひたすら持ち下り先の地方の人々のことを大切に思って商売をしなければならない。そうすれば、天道にかない、身心とも健康に暮らすことが出来る。自分のこころに悪心の生じないように神仏への信心を忘れないこと。」(江戸時代中期近江商人中村治兵衛、滋賀県HP)
また、この活動は世界普遍的であって、グローバル経営の指針にもなるだろう。偉大な起業家が古今東西、一般の人たちの共感を呼ぶ理由の一つが、組織の部分最適ではなく、社会全体の最適化に努力しているからだろう。
5W1Hの元、事業主題に集中せよ
全体を5W1Hで最適化して、健全に経営するためには、全体に目くばせ出来る感覚を身につけられてはじめて、その感覚の中で事業の主題に集中する事が出来る。事業の主題とは、「顧客に、顧客の求める商品サービスを提供し、顧客に買っていただいて、はじめて実現する」との認識に基づき、顧客に商品を提供販売することに情熱を傾けることだ。
なぜなら、会社経営にとって、顧客からの売上実現が唯一社会的な価値実現、つまり資金回収の正常なストーリーだからだ。誰か顧客に、何らかの商品やサービスが届けられる能力を持つこと、これが会社存続の最低要件であるからだ。資本を使って商品を準備し、顧客への売上が実現することが出来たならば、そして粗利益が事業経費を超えて、はじめて黒字が計上でき、財務的に安定するからだ。
5Wの全体観を見直してみると、資金の事だけを考えると、確かに投資家や銀行から資金を調達すると、会社の資金は潤沢になり、全体観のない経営をやっていると、顧客を満足させないで手元資金を潤沢にすることが可能で、その資金で、仕事をしていない役職員にしばらくは高給を支払い続けることが可能だ。しかし、5W1Hの全体観があれば、それがいかに不健全で危険な経営か分かるだろう。
5W1Hで全体観を身につけ、良心をもって健全な状態かどうか絶えずチェックしながら、事業主題である顧客へ魅力的な商品を届けようと、人生をかけて全力を傾倒する。そんな努力家の健全な経営姿勢の起業家なら、いつでも応援したい。天はそんな起業家に味方し、長い目で見れば、きっと成功するからだ。
著者略歴
日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代 表 村口和孝 《むらぐち かずたか》
1958年徳島生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。84年現ジャフコ入社。98年独立し、日本初の投資事業有限責任組合を設立。07年慶應義塾大学大学院経営管理研究科非常勤講師。社会貢献活動で青少年起業体験プログラムを品川女子学院等で実施。