MAGAZINE マガジン

Vol.28【日の丸キャピタリスト風雲録】日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代 表 村口和孝

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

ベンチャーの金メダルを目指せシェイクスピアから世界経営を学ぶ

(企業家倶楽部2012年10月号掲載)

ロンドンオリンピックが熱い 

 2012年夏、ロンドンオリンピックが熱い。日本が水泳や柔道、体操などでメダルを獲得するシーンがハイビジョンのデジタルテレビで映し出され、感動の渦を巻き起こした。レスリングでは四人(小原、伊調、吉田、米満)が金メダルをとり、なでしこジャパンのサッカーも銀メダルをとった。女子バレーが28年ぶりのメダルだし、ボクシングは村田が金だ。開会式には元ビートルズのポールマッカートニーが「ヘイジュード」を歌い、閉会式にはジョンの「イマジン」が流れた。

 特に私が中学時代熱中した水泳は、かつて日本人は体格が根本的に違い過ぎて、メダルに全く手が届かない競技と言われてきたが、それが次々とメダルを取るのを見て、まったく隔世の感を禁じえない。例えば、メドレーリレーでとった男子銀、女子銅メダルは、日本の水泳の選手層の充実を如実に表しているとともに、日本人が体力的に世界に劣っていない事を端的に実証してくれていると思う。

 さらに、それぞれメダルを取った各選手のコメントがとても謙虚で、レスリングで金を取った小原日登美さんをはじめ、周りの支えてくれた人々に感謝したコメント内容が多く、聞いていて素直に感動した。2011年3月の東日本大震災の苦難を越えて、日本人の世界における戦う意識、そして戦い方に、何か以前とは異なる、大きな地殻変動的な意識の変化があったのかもしれない。

オリンピックに全然届かない田舎者

 実は、私は小学生から中学生の頃、一時期、徳島県の平泳ぎのチャンピオンになった。夏場はとにかくずっとプールで泳いでいた。ところが当時、泳いでも泳いでも到底オリンピック標準記録どころか、インターハイ出場にも届かなかった。自分の水泳の現実にぶつかって、いくら努力しても届かない世界の壁がある事を、残酷にも、身をもって気付かされた。つまり私は、田舎の炎天下のプールの中で、世界の水準には到底届かない、強い絶望感に打ちのめされた。

 今から思えば、温水プールもコーチもいない田舎の弱小水泳部で、オリンピックにあこがれていただけの当時の田舎チャンピオンの自分には、練習環境からして、無理もない事だったと、今でこそ冷静に振り返る事が出来るが、当時、自分の人生の目の前に、それこそ分厚く、高い高いコンクリートの壁が立ちふさがり、越えられない絶望を感じた。思春期だったともいえるが、私の絶望は深く現実で、まったく救われないように思われた。世界は遠すぎた。

英国ビートルズに励まされる

 徳島県海部郡という大自然に囲まれた、しかし陸の孤島で世界からまったく隔絶された田舎で、スポーツで強い絶望に打ちのめされている頃、テレビでビートルズを聴き、その音楽のストレートさと、自作自演の演奏スタイルに衝撃を受けた。最初に聴いた曲は、「ハードデイズナイト」「ヘルプ」「レットイットビー」だった。早速アルバムを買い求め、まるでクラシックを聴くように驚きをもって、集中して聞いた。知った時には既に解散していたビートルズを、雑誌で調べてみると、彼らの故郷はイギリスのリバプールという地方都市で、やはり世界とは距離のある地域で、全くの地方の若者としてメンバー四人が育った事を知った。ビートルズはリバプール「キャバーン」とドイツのハンブルグ「スタークラブ」で、過酷なライブ演奏の中から経験を積み、力を付けて行って、とうとうロンドンでプロのバンドとしてデビューした。

 地方都市リバプールバンドのビートルズは、思春期、田舎で絶望感を味わっていた私にとっては、自分を重ねたくなる都会で出世した憧れのヒーローだった。ビートルズがロンドンに出たように、私も田舎から東京に上京して、浪人して大学に進学した。ビートルズは音楽を洗練して、二十代前半でプロとして世界的に大成功する。私は二十歳になって、一時期大学を留年してまでアマチュア学生団体で、シェイクスピア劇の演出に没頭した。そこで私は有名になるはずだったが、まったくそうはならなかった。逆に帝劇に行った先輩から芝居では経済的に食べていけない事を知り、水泳に次いで、また挫折感を味わった。私は、芝居の道を諦めた。


英国シェイクスピアに励まされる

 一方、大学在学中、シェイクスピアを演出したおかげで、彼の描く人間ドラマの、エネルギーと深さ、無限の多様さに、生き生きと私の目を開かされた。娘に裏切られたリア王や、嫉妬に狂うオセロ、弟に殺された父親とその弟の後妻となった母親をもつハムレットなど、人間ドラマの悲劇や喜劇、幅の広さからすれば、私の人生など米粒みたいに小さなものだ。別に浪人しようが留年しようが、田舎者であろうが都会人であろうが、地位が高かろうが低かろうが、財産があろうが無かろうが、人間の人生の豊かさや生きる価値は、全く違う別のところにあると思わせてくれた。実はシェイクスピア自身も、ストラトフォード・アポン・エイボンという田舎出身で、ロンドンに出て世界的な芝居を書いたことを知った。

 私の田舎生まれという出生や、オリンピックどころかインターハイにも行けなかったこと、浪人や留年をして同級生よりも遅れてしまったことは、自分の人生に致命的なことでも何でもないどころか、考えようによっては、それが私の人生のちょっとしたユニークさにほかならないことに気がついたのだ。

 特に田舎で身につけた自然に対する体験的理解から来る、シェイクスピアのセリフの読み込む深さは、大学の誰にも負けない自信を持った。例えば、テンペスト(嵐)というシェイクスピアの作品の冒頭の嵐の海のシーンの風の感じ方などは、私なりにその海のうねりの臨場感や自然のダイナミズムを体感的に読みとることが出来た。挫折だらけの田舎出身の小さな私のような無名の人生でも、その小ささの中にすら、シェイクスピア的な人間の豊かさや、世界や宇宙の大きさを包み込む事が、十分可能だと確信が持てた。どんな境遇にあろうが小さな存在であろうが、自分を信じ集中した先に世界の最先端があることを実感した。これは、後の私のゼロから事業を応援するベンチャーキャピタリストとしての人生に、大きな希望となった。

シェイクスピア演出作業体験から学ぶ

 同時に、大学二年の年、シェイクスピア劇「テンペスト」(全5幕)を、半年間演出家として取り組んだ体験から、ゼロから何かを全力を挙げて実現する事が、どんなに大変な作業か、思い知らされた。と同時に、十人以上のスタッフが半年かけて、一つの作業を実現する一連の目的を持った過酷なプロセスを実践することで、私自身、経営能力を、知らず知らずの間に鍛えることが出来たのかも知れない。

1.上演する台本を選び、演出構想(事業計画)

2.俳優を集めて、キャスティング(人事)

3.練習計画を立て、練習(仕入組立)

4.通し練習で、演出構想を修正(商品完成)

5.舞台道具、衣装を制作

6.照明、音響を準備

7.チケット準備、ポスター制作販促(販売)

8.舞台組み上げ、舞台リハーサル

9. パンフ準備、受付、会計、記録準備

10.本番上演(納品)

11.記録、反省会(決算報告)

 半年を、今振り返ると、事業をゼロから組み立てて、会社を経営していくプロセスと同じだ。

シェイクスピア作品の舞台作り

 アマチュアなので、どうしても熱心な部員と、休みがちな部員がおり、それをうまく組み合わせて練習スケジュールに乗せて、一幕から五幕までを、練習を通じて場面を部品を作る様に場面を作って行く。一つ一つの場面が、人間のドラマ時間のリアルな生きた瞬間を表現し、観客と共有できるように創造していく。

 最後には、全体を一本の芝居として、それなりの見られる世界になる様に、バランスや、演出効果など想定して、部品を組み立てて行く。まるでプラモデルを組み立てる様に、全体を構成して行く。製品を組み立てて、顧客に提供するのと同じ作業である。

 何度も何度も作っては壊ししながら、登場するアマチュアの役者たちに、演出意図を理解してもらいながら、芝居の劇団全体が表現組織としてのエネルギーをもった集団に成長して行かねばならない。途中、夏合宿を長野の蓼科で実行し、練習を重ねた。ここまで来ることで、演出しようとしてきたシェイクスピア舞台の完成イメージが、一幕から五幕まで、明確に関係者の心の中に出来上がっている。

完成イメージで、トラブルを乗り越えて

 当然、キャストの変更や、部員同士の不和など調整することが必要な局面もある。演出家と俳優の関係がおかしくなることもある。しかし、それでもあきらめず、最高の舞台作りを生み出そうとし続けることが大事だ。所詮、芝居上演に関係する人間と人間が、体の中に想像力で生み出している芝居上演の完成イメージがあるだけなのだ。それを何とか本番の舞台で実現しようとする。演出家が、それを強く情熱をもっていれば、様々な困難やトラブルを乗り越えることが、いずれ可能となる。解決は、時間の問題となる。

 世界のトップクラスで勝負する、とはそういう事なのではないか。それがハイテクベンチャーの立ち上げ作業であれ、ユニクロのような小売業の事業であれ、事業における成功の構造とプロセスには共通点がある。つまり、最後の事業の完成イメージを、起業家自らが心の中に脈々と持ち得るや否や、である。

 地球上に生まれた人の一人として、歴史的人間社会の人との間で人生を生き、その中で何かを発見し、そのテーマを顧客に対する事業の完成イメージである商品に結実させて、スタッフや資本を提供してくれた支援者とともに作業を組織化し、付加価値を生み、事業を成功させるとともに、会社としても成功させていく。


演出の成功と、劣等感の克服

 私が学生時代に演出したシェイクスピアの作品「テンペスト」のテーマを、私は「愛、希望、自由」とした。「テンペスト」とは、12年間、弟の裏切りによって暗殺される寸前に、赤ん坊の娘とともに孤島に流され、娘の成長とともに物理的にも精神的にも、孤島を脱出するという男の物語である。私は、物語の中からテーマを読み取り、劇作品を顧客が満足のいく商品の完成へと皆で努力し、完成イメージに向かって時間をかけてそれを実現させていった。半年後に私が演出した「テンペスト」は六本木の自由劇場という小劇場で上演され、周りから成功だと言われ、私の人生の大きな自信となった。私はもう、オリンピックに全く手の届かない田舎者でなくなった。

ロンドンオリンピック開会式のシェイクスピア

 ロンドンオリンピック開会式に、ビートルズだけでなく、私が演出したシェイクスピアの「テンペスト」第三幕二場野人キャリバンのセリフが朗読された。

 「怖がることはないぜ、この島は雑音でいっぱいだ。

 音楽の甘い空気が歓喜をもたらし、悪い事はねえ。

 時々、何千もの、鳴り響く楽器が、

 俺の耳元でブーンとうなり、時には、人の声が。

 それが、俺が長くよく寝て、起きた後なんかに、

 もういっぺん眠らせてくれる。そこで見た夢の中で

 雲が割れて、そこに、でっかい財産が見えて、

 俺の上に、落ちて来そうになる。また目が覚めて、

 もういっぺん夢みてえ、って泣き声あげたぜ。」

 夢を見て、それを実現しようとする。野人キャリバンが見た夢は泥棒の夢だったが、世界的経営者が事業の成功に見る夢も、同じ心の作用だ。つまり、オリンピックのメダリストたちが皆言うように、誰でも頑張れば、金メダルが取れる可能性があるのだ。

著者略歴

日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合 代 表 村口和孝 《むらぐち かずたか》

 1958年徳島生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。84年現ジャフコ入社。98年独立し、日本初の投資事業有限責任組合を設立。07年慶應義塾大学大学院経営管理研究科非常勤講師。社会貢献活動で青少年起業体験プログラムを品川女子学院等で実施。

一覧を見る