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Vol.30【日の丸キャピタリスト風雲録】日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代 表 村口和孝

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

ベンチャー日本経済再生論 失われた5年間

(企業家倶楽部2013年1・2月合併号掲載)

日本「経済総大企業病」
 時代の中心を担った既存の出来上がった企業が、いわゆる組織病にかかり、時代の変化についていけないことがよくあることを、経営学は指摘している。日本でも、かつて優良企業だと言われたパナソニックやシャープ、ソニーがおかしくなり、一時はつぶれかけたアップルがスティーブ・ジョブズが復活して、時価総額世界一になるのを、我々は身をもって体験した。優良な大企業はいつまでも優良企業ではいられないのが、世の習いである。優良企業は顧客のおかげで大きくなり、組織的になり、駄目になるのだ。今、日本全体が、経済発展とともに「経済総大企業病」にかかっているのではないか。
 創業当初のアップルやソニーがそうであったように、しびれるような成功体験と共に、どんな優良企業でも大企業病にかかる。そもそも成功の勝因となった顧客の方を向いた現場的企業から、規模が大きくなったというだけで、あっという間に本社の官僚機構や労働組合体質が強くなり、大きくなった組織をまとめるために、現場ではなく東証や総会向けの「頭で考えた計画を重視」するようになる。
 理由の第一は、顧客行動の不確実さによる。社外に居る顧客行動に、契約を押し付けることはできない。しかも顧客はそもそも購買行動が自分でも分析できない。計画の大前提が売上予測であるので、頭のよい本社の人は、不確実さを確実であるかのように作文する。結果的に、だんだんと顧客の現場ニーズとのギャップを広げていき、市場競争力を失っていく。日本航空が良い例である。事業というものは、常にその現実の顧客の心をとらえた企業が、勝利するようになっている。最適でない第二の理由は、取引先との契約の前提である。事業とは、取引先と連携を模索しながら、数か月から数年かけて商品サービスの提供を準備してゆく。仕入先や事業提携先から、新商品やサービスを理解され、協力してくれるかどうか。これらも、会社組織にとっては他者である為、思い通りには事は運ばない。
 事業最適化活動が活発な企業は成功し、不活発な起業家は淘汰される。制度化された事業計画をPDCAで高速回転しても事業が成功しない。変化の早い事業においては、計画を制度適用していること自体が危険で、大企業だからこそ時代の変化の中で適応できずに、乗り遅れ消えていく。
  
組織発展こそ、大企業病の原因 
 会社が成功し組織が大きく発展してくると、入社した組織人たちは組織の「業務分掌職務権限規程」に基づいて、分業するパラダイムを当然だと思うようになる。つまり、営業部、製造部、開発部、財務部、人事部、経営企画部など、どの会社員も会社全体の事を考えなくなる。特に他部署の仕事を実行する事はコンプライアンス違反とされ、越権行為として組織人失格の烙印を押され、出世に影響する。特に上場企業になると、上場に伴う組織整備が、組織をより硬直的に管理優先色彩を濃くして来る。部署同士の競合と出世競争による様々な弊害も露呈してくる。組織が、顧客へ商品を提供する最適な意思決定が出来るための、情報同期(シンクロ)をとるためのコミュニケーション手段として機能している場合は正常だ。だが、時として出世や保身など社内政治のために、逆に情報同期(シンクロ)が意図的にずれるように、階層と分業の組織は、組織人によって悪用され、事業の最適化を困難にする。本音と建前が平気でまかり通る。
 意思決定機構である稟議制度や経営会議は、政治的な判断が横行するようになると、「多数決の様相」を強くする。そもそも事業の立ち上げ時期においては、常に「少数派」の早期購入層による消費活動からその端緒(キャズム)が切り拓かれる。社内において多数決で意思決定すると、一見政治的には公平であるようで、事業経営的に最適でない間違った意思決定を採択してしまう危険性が高い。組織分業化された会社は、機能がバラバラで情報同期がうまくいかず、あちこちにボトルネックが生じ、大きな機会損失と事業最適化不全を生み出す。
 また、いったんおかしくなった組織を健全体に元に戻すのは、並大抵の事ではなく、多くの場合、日本航空の場合と同じように、取締役会や、株主総会を巻き込んだ、外科手術が必要となる。
  
経済活動人材と、日本の教育
 慶應義塾創始者の福沢諭吉先生は、明らかに明治維新において、新しい企業家、社会のリーダーを育成しようと独立自尊と実学を唱えた。経済活動を担う働き手は、次の3種類である。

1.オペレーター(作業者)
かつては労働者と言われた人たちで、基本的に時間給であって、作業定義と予算と予定、権限に基いて活動する。労働基準法が守ってくれる。真面目で、忠誠心の高い事、決められた通りにきちっと実行する事が評価される。いわば従属他尊である。

2.マネージャー(管理職)
現場のオペレーションを、事業構想に基づいて、商品を準備し、顧客に提供すべく、事業を最適化し、作業分担させ、オペレーターを監督する管理者である。事業構想を理解し、統率し、実績を上げると評価される。いわば従属自尊である。

3.リーダー(企業家)
会社において、事業をストーリー化し、選択し、多数決ではない責任を持った意思決定する。資本を集め、責任を負って事業実現を目指している。全体的成果を取締役会及び株主総会から期待されている。信賞必罰の立場で人生をかけて戦っている。いわば独立自尊である。
 
 残念ながら戦後の歴史を振り返ってみるとき、企業家リーダーの育成がおろそかになって来たことは否めない。結果として、日本人は組織人だらけになってしまって、最適化を個性的にリードするリーダー不在の社会を生んでしまったのだと思われる。
  
日本経済大企業病脱出のベンチャー政策
 経済がいつまでも健全であり続ける方法は、2つしかない。過去の大企業を大胆に再生するか、新たなベンチャー企業を産み出し続けるか。大企業組織の再生には、反対勢力を抑えて再生しなければならないことから、巨額の犠牲と時間が必要である。ゼロからのベンチャー企業を産み出し続けることこそが、変転きわまりない激変期の日本経済を成長させる一番簡単な、お金のかからない方法である。世界各国がベンチャー政策に力を入れている理由だ。
 これまで、日本政府はベンチャー企業を大企業との対比で、中小企業の別名みたいに扱ってきた。ところが、スタートアップベンチャーは組織の前提も何もない状態から新しい社会のテーマに取り組み、新しく資本を調達し、新しい最適解を試行錯誤して作り上げていく特殊な役割を担っている。とりわけ、世界がベンチャー政策に力を入れるのは、社会のフロンティアでリーダー経験を積んだ、数多くの若い起業家が生まれることが成長戦略だと思っているからだ。
  
ベンチャー新規上場5年の空白の悲惨
 日本のこの10年間はどうだったか。社会全体が、非常にコンプライアンスで官僚化した。打ち合わせがガラス張りでなくてはならなくなり、法治国家の名の元に、意思決定が組織化し、不正は撲滅できたかもしれないが、経済は競争力を失い、企業の官僚化によって市場創造力を失った。結果、円高によるコスト高もあったが、大企業は顧客からの支持を失い、株価も低迷し、破綻寸前に追い込まれている。
 とりわけ社会の保守化によって、日本の新規上場が、5 年に渡って低迷したことは象徴的だ。リーマンショックもあったが、ホリエモン事件や振り込め未上場詐欺の反動で、上場審査は非現実的なまでに緻密化して、「新規上場5年空白時代」を作ってしまった。この中には第一生命や大塚製薬など上場を含む。この間中国韓国で、どれだけ新規上場企業が生まれたか、比較するとゾッとする。
 その間多くのベンチャーが上場中止を余儀なくされ、新たな発展資金を調達できないため、事業を縮小して消えていった。ひどい場合は、詐欺師や犯罪者扱いされた。社会の格差問題と、企業家が努力して価値を生み出す事をごっちゃにされた。
  
新規上場5年空白の経済破壊力
 新規上場5年間空白時代の日本経済にもたらした打撃は計り知れない。新規上場がないということは、フロンティア領域で切り拓かれるベンチャーに資本が供給されていないことを意味する。新しく生まれてくる市場分野は、まだ不確実であるがゆえにリスクがある。この不確実性はチャンスでもあるので、社会の誰かが挑戦しなければ、他国など別の社会がその領域の担い手となり、国そのものがその新規領域で活動できなくなってしまう。
 ベンチャー企業の上場は、単に資本が新規領域に集まっただけではない。上場を成功させた企業家の社会デビューも意味している。また多くの上場企業家が創業者で大株主でもあることから、社会の中に小資本家が誕生したことも意味する。ベンチャーの創業期の課題と重要性を理解する、いわゆるエンジェル投資家が、ここ数年日本国内に誕生してこなかった日本経済へのダメージは巨大である。
  
日本のベンチャーキャピタルの壊滅的打撃と金商法問題
 リスクがある挑戦すべき領域への投入資本は、投資家からの出資金で賄うべきである。融資は元本返済を保証しなければならないので、資金の性質上向かない。とすれば、投資家のお金、すなわちベンチャーキャピタルの資金が活動しなければならない領域である。
 ベンチャーキャピタルの投資回収場所は新規上場市場であるために、日本の新規上場市場の歴史的低迷は、日本のベンチャーキャピタル業界に壊滅的打撃をもたらした。投資資金の回収の道を断たれたベンチャーキャピタルはどこも業績を上げられず、ファンドの新規設立が困難となり、縮小か解散を余儀なくされた。
 他国において、ベンチャー政策の重要性とそれを支えるベンチャーキャピタル産業振興の重要性が指摘されるのと、逆の事がさらに日本では追い打ちをかけて起こった。それが、金融商品取引法によるベンチャーキャピタルファンド運営の資格制限である。これを改定しなければ、日本の若手から世界的なベンチャーキャピタル産業が生まれてくる事は無いだろう。
 選挙で国の政策が見直しになるのなら、以下の政策が重要となるだろう。

1.ベンチャーによる起業活動の活発化促進

2.ベンチャーキャピタル活動の強化促進

3.ベンチャーキャピタル関連の金融商品取引法見直し
 
 現代先進国社会のイノベーションはベンチャー起業活動によってもたらされ、それを支援する創業支援型ベンチャーキャピタルの強化なくして、経済活性化はあり得ない、というのが世界の常識となっている。日本もいよいよ次のステージに進まなければならない時が来たようだ。政治の失敗は許されない。

著者略歴 村口和孝《むらぐちかずたか》

日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代表 

 1958年徳島生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。84年現ジャフコ入社。98年独立し、日本初の投資事業有限責任組合を設立。07年慶應義塾大学大学院経営管理研究科非常勤講師。社会貢献活動で青少年起業体験プログラムを品川女子学院等で実施。

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