会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2014年4月号掲載)
STAP細胞への拒否と混乱
研究結果が2014年1月30日付の英科学誌『ネイチャー』のトップに掲載され、一躍、世界中の注目の的となった理化学研究所の生物学者・小保方晴子さんの「STAP細胞」は、当初、初めて論文を投稿した際には、「何百年の細胞生物学の歴史を愚弄している」とまで否定され、掲載を拒まれた。周りから理解が得られず辞めてやると思い、泣き明かした夜もあったそうだ。それがデータの積み上げを経て、認められるに至る。
1992年頃手がけた案件、ジャパンケアサービスへの投資の時に、私自身も同じような体験をした。介護サービスの将来性を確信した私は、まだ新聞にも掲載されていなかった介護という単語の説明から、それが事業とならざるを得ない理由や、巨大な産業になることを社内で説明しようとしたが、当時の常識に阻まれた。社内の審査部は、審査対象として受け入れることすら難色を示した。泣き明かすどころか、私は過労で風邪をこじらせ胸膜炎になって、一か月入院した。病室の天井を見上げて、自分は何をやっているのだろうかと思った。結局私の未来仮説は正解だった。介護保険法が立法され、事業が発展して同社が上場したのは5年後の1997年のことだった。
常に、新しいことは、目の前の現実の中で生きて頑張っている人たちの目からすると、非常識に映る。これは、「半年~2年後を、過去の常識をベースに生きようとして最適化している現実派」からすれば当然のことである。これに対し、「5~15年後を、最適化しようとしている先行投資派」と話が合わなくて当然である。どちらも、自らの良識に従って最適化努力をしているのだから、どちらが悪いと言えるものでもない。常に社会の中には、現実派と先行投資派がいて、互いにとるべき行動について、意見が真っ向から衝突し、同居しているのである。
現実派と、先行投資派、内部抗争
iPS細胞がやっと受け入れられて、大きな予算がついて来たと思ったら、今度はSTAP細胞である。文部科学省や経済産業省など、現実的に予算を付けている組織は、さぞかし困っているだろう。健全な社会が、未来に対して柔軟で、かつ現実的である為には、常に混乱を覚悟しなければならない。先行投資派と現実派の同居によって、経済社会はダイナミックになる。それをリスキーだと否定的にとらえず前向きにとらえるところに事業機会があるのである。
一方、同居しないで、現実派・先行投資派どっちかに偏って方針を決めてしまうことは、とても危険なことだ。まず現実派に偏るは、半年~2年後の事に経営資源を最適化しようとしているために、長期的な未来についての判断を、先送りにしようとしたり、非現実だと検討すらしない姿勢を示す。見えて確実なものだけ信じる、という姿勢である。ところが、ITやバイオなど変化が激しい領域では、時代の変化についていけず、この姿勢はとても危険だ。次に先行投資派の意見だけを聞くと、未来の不確実性を受け入れざるを得ないので、当たった場合は良いが、外れた場合の影響は大きい。しかも、先行投資派は、未来のシナリオがいくつも考えられるので、先行投資派による未来が一つに収束するものではない。ここが組織の中で、先行投資派の弱い所だ。この両者の戦いによって、「ドラマ半沢直樹」のような内部抗争が激化し、時代において行かれることとなる。既存組織の中で、現実派と先行投資派が同居するのが困難な理由である。
先行投資可能社会「海援隊活用法」
昨年末にCATVで三日連続放送した「龍馬伝」を見て、土佐藩の山内容堂は、ひょっとすると坂本龍馬よりも偉かったかもしれない、と思うようになった。土佐藩は徳川幕府に近かったにもかかわらず、明治維新において、薩長土肥と並び称される重要な地位を保持したのは、なぜだろうと考えた。吉田東洋を採用して改革を進めようとするが、土佐勤王党の活動もあり、うまく行かなかった。東洋は暗殺され、勤王党の武市半平太は切腹させられる。現実組織が、自分で未来に向かって自己改革するのは、そもそも難しいものだ。
ところが、土佐藩は、脱藩した坂本龍馬を許して登用するなどして、浪人者集団である海援隊を、土佐藩の別働隊として、取り込んで行く。ここがポイントである。つまり、ある社会組織が変動する未来に勝ち残っていくために、「新しい動きをする別の独立した組織をパートナーとする」ことで、新しい時代でもリーダー的地位を確保できるようにする。これこそ、現実派と、外部化した先行投資派を同居させることで、全体最適が図られている好例ではないだろうか。
海援隊約規第一条
「土佐藩及びその他の藩を脱藩した浪人、海外に志ある者なら入隊できる。そして運送業、射利、開拓、投機、土佐藩の応援等を行うことを主業務とする。」
つまり、既存組織では自己改革が難しい。だから既存組織が駄目なのではなく、既存組織は外部の未来に集中する別働隊をパートナーとすることで、未来にも重要な位置を維持することが可能だ、ということである。暗殺された坂本龍馬より、海援隊を使って、既存組織の土佐藩を、明治で活躍できるようにした山内容堂の方が、賢明な選択が出来ているように思う。
ベンチャーは現代の海援隊
ベンチャーは、既存組織、既存教育機関を卒業または退職、独立した者達が集合して、新規分野の新規事業を、創業した会社の事である。これは幕末において、それぞれの藩から、脱藩し、浪人になった者たちが集まって事業を行うための会社である海援隊みたいなものである。それを応援する資本がベンチャーキャピタルである。海援隊がそうであったように、ベンチャーは未来に先行投資をしているから、軌道に乗るまで、すぐ金欠になり、大変苦労する。
事業立上げ9段階モデル(NTVP)
1.ゼロから事業を考え、
2.ゼロから会社を立ち上げ、
3.事業計画作り・資本を集め、スタッフ集める。
4.(試行錯誤期)事業を試運転・最適化・学習し、
5.計画修正し、健全に組織化し、運営へ。
6.仕入れ・加工活動・販売活動し、記録し、
7.顧客、取引先とともに成長し、
8.顧客に価値提供して社会に貢献し、
9.収益を分配し、税金を払おう!
立ち上げが金欠になりやすい(9段階の第4段階)、そこに目を付けたのが土佐藩である。土佐藩が明治維新において、時流の中心に位置する事が出来たのは、他ならぬ海援隊の活躍があっての事だった。既存組織である土佐藩が、脱藩者を多く出し、その脱藩者を土佐藩がベンチャーキャピタルとなり、支援したからこそ、土佐藩は新時代の時流に乗る事が出来たわけだ。
日本発展のカギはベンチャーキャピタル
日本は戦後の高度成長期から、一気にサラリーマン社会となり、成熟社会となった。ところが今や自己満足の成熟社会はまるで当時の土佐藩の姿ではないか。政府官僚もそうであれば、過去の有名大企業も同じである。吉田東洋の改革は、土佐勤王党の暗殺で終わり、勤王党の時代は武市半平太の切腹で終わり、自己改革がなかなかうまく進まない。その間に脱藩者が相次ぎ、人材を流出させてしまう。その脱藩した優秀な人材を、土佐藩の外部で組織化した男が坂本龍馬であり、その組織が海援隊だった。起業家のモデルが坂本龍馬であり、海援隊がベンチャーのモデルであろう。そのベンチャー企業は、創業に当たり、必ず先行投資と事業の成立をあれこれ試験する「試行錯誤期」を経過することになる。この時期は資本が不足する。ただリスクが大きいので銀行はお金を貸さない。この試行錯誤期に投資をして資金を出すのが、ベンチャーキャピタルである。
つまり、日本社会全体が大企業病になり、保守化してしまった以上、大企業そのものを改革するのは無理がある。大企業は大企業でリストラしなければならないし、それはそれでやる必要がある。一方、社会全体を考えた場合、産業社会のフロンティアの先行投資部分は、誰が切り拓いていけばいいのだろうか。その担い手こそが、ベンチャー企業の役割であるし、その試行錯誤期に資本を提供する産業がベンチャーキャピタルである。だから、現代社会において、また変化の激しい時代において、ベンチャー起業家に資本を提供するベンチャーキャピタルの役割は、特に日本において、ことのほか大きいと言わざるを得ない。
独立ベンチャーキャピタルの重要性
私は、坂本龍馬が脱藩して活躍したことに注目している。武市半平太が半沢直樹のように、土佐藩という組織の中で大改革を成し遂げようとしたのと、異なる動きをした。坂本龍馬が脱藩していなくて、各藩から脱藩した浪人や維新の志士たちのリーダーになり得ただろうか。それは無理だ。坂本龍馬は独立していたからこそ、長崎に海援隊を作り、自由闊達に活動する事が出来た。その自由闊達さは、海援隊あとがきに、表現されている。これこそ、独立ベンチャー企業、独立ベンチャーキャピタリストが、産業社会のフロンティアで、自由に活躍する有り様と重なる。
海援隊約規あとがき
「以上五則の海援隊の約規は実に簡素であり、事細かな規則は不要だ。我々は天を翔(か)ける鶴であって、その飛ぶ所にまかす。鳥かごの中のものではない。」
現在、独立したベンチャーキャピタル事務所が日本にどの程度あるだろうか。おそらく十社程度であろう。シリコンバレーのベンチャーキャピタルは、千社程度あるのかも知れないが、ほとんどが独立ベンチャーキャピタル事務所だ。
日本の成長の矢は、どこにあるのか。これだけグローバルな高度に情報化された市場社会にあって、少子化、高齢化社会がネガティブ要因だという人がいるが、全く関係ないと考える。成長の本質はただ一つ、「未来に先行投資できる社会を作る」ことだ。
未来に先行投資する主体は二つある。既存組織「旧民間」と、ベンチャー起業組織「新民間」である。述べてきたように、既存組織「旧民間」は、現実派と先行投資派が常に争っている。わかってはいるが、半沢直樹のように、上下組織が立ちはだかって身動きが取れない。
一方「新民間」には、お金がなく、蓄積がなく、フロンティア領域における試行錯誤期の資本が常に不足している。その「新民間」に資本を提供する専門職がベンチャーキャピタルであり、日本はあきらかに独立ベンチャーキャピタル事務所が不足しているのだ。
安倍政権がどれだけ、日本の新しい経済社会の発展を考えているか分からないが、今、その政策のセンスが問われている。
著者略歴
日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合
代表 村口和孝《むらぐち かずたか》
1958年徳島生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。84年現ジャフコ入社。98年独立し、日本初の投資事業有限責任組合を設立。07年慶應義塾大学大学院経営管理研究科非常勤講師。社会貢献活動で青少年起業体験プログラムを品川女子学院等で実施。
投資先にはDeNAの他、ウォーターダイレクト社が13年3月15日東証マザーズに上場。