会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。
(企業家倶楽部2016年6月号掲載)
日経夕刊で「ふるさと納税」提唱
2003年2月から、2008年4月まで、日経新聞の夕刊コラム「十字路」を、合計37回書いた。起業に関する結構大胆な思い切ったことを、連続して書いた。主だったものは以下のとおり。
2003/02/27 源泉徴収制度の社会矛盾
2003/04/22 休眠預貯金を未来に投資せよ
2003/07/31 起業体験プログラム広げよう
2003/09/17 ベンチャー税制を見直せ
2004/03/02 日本から有人宇宙飛行実現を
2004/06/08 日本もLLCを整備せよ
2004/07/15 ビートルズ成長史に学ぶ
2004/09/01 金メダルと事業経営
2004/10/13 巨額金融資産の空回り問題
2004/12/07 「ヴェニスの商人」から学ぶ
2005/01/28 未知だから起業は面白い
2005/03/22 起業の苦労は報われる
2005/08/25 阿波踊りの起業文化
2006/01/31 投資事業組合を悪玉視しないで
2006/03/16 「ふるさと納税」を提唱
2006/05/11 起業資本の機能に国籍はない
2006/12/04 大学教育は投資リーダーを
2007/03/07 中高生の森林大合宿案を提唱
2007/07/26 東京地裁の経済観に物申す
2007/12/27 国家起業ファンドの必要性
2008/04/11 大学発ベンチャー失敗の原因
インパクトが大きかったのは、「ふるさと納税」提唱と、東京地裁経済観批判の記事だ。
ふるさと納税」の反響
いまや、地方税を住んでいる地域とは別の場所に寄付すると住民税が控除される「ふるさと納税」は、お礼の品が貰えるなど、社会現象にまでなっている。以前に比べ、社会構造イノベーションと言っていいほど、地方自治体の市場に対する姿勢が積極化した。この制度が、キャピタリストの私が提唱したことは、意外と知られていない。2006年3月16日日本経済新聞の「十字路」でこの記事が夕刊に載った翌日早々に、事務所に数件の電話があるなど、異常な反響だった。特に地方出身者の読者にインパクトがあった。一人は、高知県の東京事務所の女性からで、「感激しました、書いてくれて本当にありがとう」、と電話してきてくれた。
そこから、様々な代議士や知事が取り上げた。ところが「それは私が昔から言っていたことだ」という人が複数現れるという珍現象が連鎖して、2006年夏急速に議論が進んだ。2007年に立法化、2008年から施行された。結果的に税制案の名称として、私がつけた「ふるさと」という表現がそのまま使われた。なお、私は体験に基づいて提唱したのであって、誰かを真似したのではない。実際に私は数千万円の住民税を、私のふるさとに納付するという、ひじょうに重い自分自身の体験をもとに自分で考えた。また、「ふるさと」と言う名称も、どうすると広がるだろうと、一週間くらい流行ることを意識して考えた挙句、あえて平仮名にした。
DeNA成功で住民税を故郷に
この記事を考えた背景には、体験的なきっかけがある。私のDeNAでの成功と納税だ。1999年秋、事業の立ち上げに悪戦苦闘したDeNAが2005年2月、マザーズに上場した。キャピタリストとして、NTVP投資事業組合で未上場で投資していたDeNA株式を、インサイダー取引に厳重に注意しながら売却した。当然の帰結として、DeNAへの投資を回収した投資事業組合から、組合を運用しているキャピタリスト(私)に、多額のキャリー(VCの世界で成功報酬に当たる)が支払われ、私の2005年度の大きな所得になった。億単位の収入を得たのは、生まれて初めてで、驚いた。私は確定申告していたが、収入の大きさと比例して、億単位の税金の重さを思い知った。さらに住民税だけでも数千万円になる見込みだった。あまり目立ちたくなかったので、高額所得ランキングに発表され、注目されると厄介だ、と思っていた。ところが幸いなことに、個人情報の問題から、ちょうど偶然、その年から高額所得者の発表が廃止になり、TVニュースや新聞に載らずこれには助かった。
さて、急にお金持ちになって、そこでふと過去の自分、お世話になった方々のことが脳裏をよぎった。幼年時代を育んでくれた徳島県海部郡海陽町の田舎の人々や豊かな自然。特に、中学生の時に水泳の選手として三回四国大会に遠征したことが、私の人生を田舎の学校という狭い世界から、外に開く大きなきっかけとなった。遠征に行く交通費や滞在費は、当時何の予算だったのか、今となってはわからないが、学校等がすべてもってくれた。私に子供時代に長い時間をかけて投資してくれたのは、明らかに現在住んでいる東京ではなく、私の生まれ故郷海陽町だった。
金持ちとなった今、私はその私のふるさとに、何かお返しをするべきであると強く思った。お世話になりっぱなしでは、絶対よくない。寄付か、住民税だけでも払えないものか。そこで知ったのが、1月1日の住民票の住所の地域に、住民税を納付できるという事実だった。ちょうど私が東京都大田区から世田谷区に転居するタイミングだったために、私は、年末いったん住所を徳島県の海陽町に転居して、年始の現住所を生まれ故郷にしてから、住所を世田谷区に転居することにした。お陰様で、これで多額(数千万円)の住民税を2006年、海陽町に納付することができるようになったわけだ。
住民税を納付した町役場の反応
ただ、これは相当トリッキーだと思った。いちいち住所を変更しなければならないし納税のために一時転居するのは、実に不自然である。一方、考えてみれば、私みたいに子供時代にふるさとにお世話になった田舎出身者で、成人してから都会で成功する人が多いはずだ。何で住民票のある場所にしか納税できないのか、矛盾を感じた。もっと、便利に田舎への感謝を納税に込められないものか、何か新しい政策にできるのではと、考えた。
さらに驚いたことだが、私が税収の少ない片田舎に数千万円納税したのだから、当然、町役場の人がとても喜ぶだろうと、思っていた。住民税納付の書式に、数字の桁が大きすぎてかけないという事態が発生したことを見ても、いかにめったにない町の大きな税収だったかわかろうというものだ。ところが、町役場の様子は喜ぶというより、戸惑っているように感じだ。なるほど考えてみればそれもやってみて初めて役場の立場を理解した。
ふつう会社組織は、収入が増えると喜ぶものである。ところが、歳入と歳出をバランスさせている町役場にとって、突然多額の税収が増加する、ということは、異例なことだ。役場にとってありがたい臨時歳入ではあっても、毎年予算を組んで地方交付税など、県や国から支援を受けている立場の町役場からすると、処理が面倒な臨時収入でもあ住り、役場は悩むわけである。
さらに、私は町の出身者であっても、2006年の1月1日に住民であったというだけで、定住しているわけでないから、選挙もせず、継続的に納税もしないなら、町役場が連絡してサポートする理由もないわけだ。なるほど、だから町役場や地方行政は、市区町村から転出して出て行った地方出身者に、まったく興味もなく、連絡もなかった訳である。出身者は片思いで、自分のふるさとに何か恩返しをしたいと思っているのに、地方公共団体の方に受け入れる体制が全くなかったのである。
地方の異常な人口ピラミッド
この図が、海陽町の1990年の人口ピラミッドである。どこの日本の地方も似たり寄ったりである。20歳のところが異常にくびれていることが分かるだろう。逆に、東京は、20歳のところで急に人口が増加する。
これは、高校を卒業した人たちが、地域から外に就職や進学で出て行くことを意味する。同級生の半分が地域外に出て行って、そのうち三分の一程度しか戻ってこないで、行きっぱなしである(私の場合が正にそうだ)。人口がどんどん減少して、高齢化の進行はみんな知っての通りだが、特に、地域衰退の原因は、若者が、櫛が欠けるようにどんどん都市部に出て行って、地方にいなくなることだ。
若者がいなくなるだけではない、地方の親は、都市部に出て行った子供たちに仕送りをしている。全国の仕送り額の合計は巨額である。その分、田舎の消費が低迷し、商店街が廃れることに直結している。逆に、都市部に行った子供たちが地方の親のすねをかじって、都市部の消費を底上げている訳である。このことに気が付いて、思いついたのが「ふるさと納税」なのだ。
「ふるさと納税」の革命的効果
組織というものは、インセンティブがないものには、いかに、そうあるべきであると分かっていても、組織人は行動しないどころか、考えもしない。田舎の町役場の人たちが、外部社会に関心を持ち、積極的に行動するようになるにはどうしたらいいか。もし故郷を出て行った人が「ふるさとに納税」できるようになったら、町役場の人たちは積極的に地域外の人に対してマーケティング的な意識と行動を起こすのではないか。地域と都会のエネルギーの巨大な時間的地理的な落差、これは危機ではなくて、経済のダイナミズムが生んだ巨大ギャップであり、時に大きな事業機会となる。「納税をひとつの市場」にしてしまって、両者を結び、役所の人間をマーケッターにしてしまう革命的発想だ。
これまで町役場の人たちは田舎では優秀な人々だが、県とか国とかへの陳情でしか、エネルギーを注いでこなかったと言っていいだろう。「ふるさと納税」は、まず、その地域の数少ない給料の安定した就職先である町役場の人たちの、革命的な意識改革効果を期待した。田舎から都会に出て行った人にもっと関心を持ち、産業の地域外へのマーケティングに能動的に取り組むという意識改革だ。現在この制度が出来た結果、地方地方で様々なマーケティング的な工夫が生まれているなど、その点、想定の効果を上げたと、考えている。
ほかにも、夕刊のコラムでは、東京地裁の経済観を批判したことは、日経新聞の編集委員が私に会いに来るほど、衝撃的なコラムとなり、報道の方向性に影響を与えた。その他日本版LLPの政策決定に影響を与えるなど、いくつかの社会制度の進歩に、キャピタリストとしての体験をもとに、いくらかでも貢献できたものと考える。
著者略歴 日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合 代表 村口和孝 《むらぐち かずたか》
1958年徳島生まれ。慶應大学経済学部卒。84年ジャフコ入社。98年独立、日本初の独立個人投資事業有限責任投資事業組合設立。06年ふるさと納税提唱。07年慶應ビジネススクール講師。社会貢献活動で、青少年起業体験プログラムを、品川女子学院、JPX等で開催。投資先にDeNA、ジャパンケーブルキャスト、テックビューロ等がある。