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Vol.54【日の丸キャピタリスト風雲録】日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合 代 表 村口和孝

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

千億円企業家になる方法 人類の需給ギャップを埋める

(企業家倶楽部2017年4月号掲載)

起業成功の5条件

 私が投資活動を始めたのは、1984年である。33年のキャピタリスト人生を振り返って、多くの印象に残る起業家に恵まれたことは幸運だった。中でも、アインファーマシーズ(元第一臨床検査センター)大谷喜一社長とDeNA創業者南場智子氏二人は、上場して売上が千億円を超え、起業家として学ぶ点は多い。アインは、1987年私が28歳の年に投資を担当した当時、大谷社長は35歳。南場さんは、1999年私が40歳だった年で投資時点の年齢が37歳でほぼ同じだ。

 同じように会社をスタートして、長期的に成長して、売上数千億円(利益数百億円)規模の会社が生まれる一方で、十年経っても成長に苦しむ企業がある。長年の経験をつらつら振り返って、成功条件を考えてみた。

1.人類の一員として、ぜひやりたいことであること

2.提供する商品サービスが、世の中の人様の役に立つか楽しく、お金を払って貰えること

3.少なくとも長期的には経済的に成り立ち利益が出、投資回収出来ること

4.従業員・取引先など事業関係者達との関係が公正で、彼らの人生が、豊かに楽しくなること

5.十年以上周囲の批判に忍耐しつつ、攻めと守りで年輪を作りつつ継続し、試行錯誤でフロンティアの学習をし続けられる、大きな拡大する時代変化の潮流に乗っていること!

1.人類の一員としてやりたい=人生の覚悟

 長い起業家人生、順調なことばかりなどと言うのはまず見たことない。危機が数年に一度、必ず訪れる。創業のころはそれが毎月だ。その時どうやって乗り越えていくか。まるで、良いことと悪いことが巨木の年輪のように循環する。まず、自分自身が人類の一員として、人生の上でぜひ実現したいことか= 企業の経営者として腹が座っていないと、とてもきつい状況を乗り切れるものではない。たとえ乗り切れたとしても、良いスタッフからどんどん去っていくだろう。1999年創業時に苦労したDeNAの南場さんは、新潟雪国の出身もあろうが、どんなトラブルに遭遇しても、岩盤のように腹が座っていた。

 私が28歳の年に投資したアインの場合、元はおじさんのやっていた臨床検査業を大谷社長が引き継いでビジネスをスタートし、1987年にVCから投資を受けて上場を目指した。ところが1988年新臨床検査情報システムへの切り替えにトラブって、死にそうな思いをした。何とか数年かけて売上を二桁億円(利益数億円)にして、1994年にようやく株式を上場。しかし上場後の多角化による家電量販店等小売業への事業拡大の失敗で、1997年頃には拓銀破たんによる北海道経済大混乱のあおりを受けた。十億円以上の赤字を出し破たんの危機に瀕した。結局、家電量販店と臨床検査事業を売却し、伸び始めていた調剤薬局業への業態転換を果たした。その間、大谷社長は一度病気で倒れ、入院までした。

 それでもアインは、ぶれることなく大谷社長の経営のもと、30年、今日まで発展してきた。1987年私が初めて大谷社長にお会いし、その頃幹部だった30歳前後の仲間が、30年たって未だに大幹部としてアインを支えている(加藤副社長は、30年前にシステムトラブルを徹夜で対応して倒れた部長だし、首藤専務はIPO準備担当、川村常勤監査役は、最初に中期予想損益を作成した当時の経理担当)。

 大谷喜一社長は北海道浜頓別の網元の家族のご出身だが、家庭環境があったのか、強豪、北海高校野球部セカンドで高校時代甲子園を目指した頃からのものか分からないが、誠実で勉強を欠かさない経営力が魅力である。仕事に打ち込み、腹が座っていて、ふと弱音を吐くことはあっても、曲がったことは嫌いで、絶対にぶれない。この腹の座り方が、30年経って売上を当時の千倍にした原動力である。

2.買って頂ける商品に妥協はない

 いくら技術力があろうが、事業において、顧客に提供する商品が売れないことには、お話にならない。それは何よりも、商品がきちっとして売れる顔つきでないといけない。お客様にとっては、見る商品や受けるサービスが、すべてであって、屁理屈や言い訳は通用しない。要は、「顧客に買ってもらえるかどうか」なのである。お客様は他人であるから、生活も違えば価値観も違う。商品サービスを買うも買わないも、また他社の製品を選ぶのもお客様の自由である。アインでは、検査業の検体の収集する社員を若くて明るい人にして、制服もこざっぱりさせて、挨拶を徹底させた。それも顧客にとっては重要な評価点の一つだと考えた。

 事業はいつも満足の商品サービスが提供できるとは限らない。品質が悪いものが混じることもあれば、納品に間に合わないこともある。その瞬間、お客様は怒っているだろう。トラブルはつきものだ。アインの検体(採血した血液など)がシステムトラブルで検査結果が出なかったときの社内のパニックは、凄まじかった。お客様である病院や医院からどやされるどころか、仕事を切られる危険性すらあった。加藤さんはそのストレスで倒れたわけだが、顧客への商品の提供責任の重大さ、事業の厳しさを、身をもって思い知った瞬間だった。DeNAも最初のシステムトラブルをはじめ、何度もトラブルに巻き込まれて、その都度復活した歴史を持つ。どこも同じだ。提供する商品サービスが、顧客候補にとって価値があり、きちっとしており、インパクトのあるものでなければ、お金を払って、または面倒な手続きをしてわざわざ購入してくれなくて当然だろう。

3.利益が出て投資回収できること

 商品が提供できれば売上は立つ。だからと言って、経費や初期投資がかさんで、いつまでたっても予定していた黒字にならないということは、よくある。売れる商品がなかなか完成しない、仕入れコストが下がらない、人件費がかかる、思ったほど売れない、品質が上がらないなど、「一年で黒字化予定が二年かかった」とか、「五千万円は利益が出るはずが、数百万円しか利益が出ない」等である。利益が出ても長続きせず、また赤字状態に戻ることもある。

 事業はどこかで先行投資期を経て、しっかりした黒字にならないことには事業は継続できないのは当然である。投資家資金だけで事業立ち上げを行い、赤字を出して資金を溶かし、投資家から失望顔で詰められるくらいなら、まだよい。もし銀行から借金をして赤字を継続して黒字にならないまま資金を溶かしてしまい、借金返済の見込みがなくなったらどうすればいいのか?当てのない借金返済に、心理的にも窮地に追い込まれる。先行投資と経費や仕入れの支払いで、資金はすでに手元に無いからだ。

 アインはIPO後、臨床検査業よりも成長が見込まれる家電量販事業など小売業に乗り出し、十億を超す赤字を出す羽目になった。しかも応援を期待していた拓銀倒産という時代の嵐がやってきて、事業を売却して再編成という、大外科手術が必要となった。DeNAは創業時の事業の立ち上がりに二十億円もの資金を溶かしてしまったことは有名であるが、何とか黒字化して上場した。

 言い古されているが、事業選択、人との付き合い、設備投資と、仕入れ、そして経費、人件費にはいつも浪費を避け、コストダウンに注意。価格と品質はよく考えて、費用対効果を考え、ボトルネックの観察や機会損失の撲滅に努めることが大切だ。

4.従業員、取引先との公正な関係

 商品をきちっと出荷して顧客に喜んでもらうという事業は、起業家が自分一人でできるものではない。周りの協力あってはじめて実現できる良い仕事である。事業を支える社会関係、契約関係は、商品サービスを顧客に提供する重要な成長基盤である。

 長く成長する企業は、従業員も取引先とも、長い公正な関係を築いている。調剤薬局の多店舗展開を進めるアイン大谷社長も、様々な事業を成長させようとするDeNA南場さんも、人について誠実で公正であろうとする。優秀な人材を採用し、優秀な取引先との新しい関係を構築しようと日々努力している。と同時に、間違った関係を見抜き、悪い社会関係から遠ざかり、良い社会関係を合理的に、長く構築しようとする。それでも間違いは起こる。ここでも起業家は、腹をくくって修正を決断する。

5.十年超える大きな潮流に乗り試行錯誤

 DeNAやアインの千億円に至る成長を振り返ると、大きなトレンドの上に乗って挑戦してきたことに疑う余地がない。ゼロを数千億の売上にするためには、時代の大きなニーズを実現するパスを、市場という山を貫通して構築すると思えばよい。山のあちら側では、ニーズに対して、商品サービスという表現で実現して山を貫通する。逆側の山のこちらからは、社会に散在する経営資源を供給力として一つにまとめ上げて、商品サービスの供給システムを構築する。つまり潜在的な未実現の市場ニーズを、質量ともに提供した商品サービスで満たす、と言うトンネルを掘る事だ。

 顧客つまり人類の生活にも時代の変遷(流行りすたり)があるし、商品サービスの供給にも技術イノベーションの影響がある。DeNAは携帯電話やスマートフォンというモバイル端末にネット革命が到来する時代背景の上で1999年から2007年にかけて大きく成長した。アインは、医薬分業という医療世界の激変時代を背景に、調剤薬局市場の台頭と成長を背景に、事業成長させた。昔から漁師は、「船に乗るな、潮に乗れ」という。至言ではないか!

 需給のギャップを埋めるスター

 こうやって長期の起業活動を見てくると、「起業家の人生とは、辛抱強く、腹をくくって、市場に対して素晴らしい商品やサービスを提供することで、未実現の需要と、人材や部材などを組み合わせ、未実現の供給との時代的な橋渡しをする人生である」と言える。その「事業機会は、想像出来うる限り、未来の未実現のニーズがあるので、無限に存在する」。この論理的帰結は、多くの日本の学生やサラリーマン組織人による、「事業機会は極めて限られている」との常識と、なんと結果は逆だ。実はチャンスが無限にあり、しかも過去の常識が邪魔して起業家の出現が少ない日本では、起業家の競争者が少ない、と結論できるのではないか?皆で、千億企業を目指そうではないか。

著者略歴 日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合 代表 村口和孝 《むらぐち かずたか》

 1958年徳島生まれ。慶應大学経済学部卒。84年ジャフコ入社。98年独立、日本初の独立個人投資事業有限責任投資事業組合設立。06年ふるさと納税提唱。07年慶應ビジネススクール非常勤講師。社会貢献活動で、青少年起業体験プログラムを、品川女子学院、JPX等で開催。投資先にDeNA、ジャパンケーブルキャスト、テックビューロ等がある。

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