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Vol.65【日の丸キャピタリスト風雲録】日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代 表 村口和孝

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

VC投資のヴィジョン 長期の困難な仕事

(企業家倶楽部2019年4月号掲載)

VC投資経験を振り返る

 私がVC投資活動をスタートしたのは、1984年4月である。慶應義塾大学を卒業して、ジャフコに入社し、投資部員という組織人として、営業外交活動をスタートした。当時はスマホもネットもない時代で、信用録という法人データと、経済新聞や業界雑誌を情報源に、電話と飛び込み営業で、一日3社から5社程度訪問営業を実行した。週10社程度訪問し、週に一社決算書を入手して、開発報告書というレポートを作成して会議で発表した。一年で300社程度起業家面談し、30社程度のレポートを作成した。
 
 それこそ業種はバラバラで、パソコン販売、ソフトウェア開発業、PR事業、証券印刷、半導体ガス、汚水浄化、マンション開発、電子部品製造業、食品販売、ビル管理、エレベータ製造、歯科チェア製造、特許取引所など様々であった。当時はネットもなかったから、上場企業とは知らずに訪問して、投資の説明を何回かしたあと、上場会社と気が付いた、などというおかしなこともあった。スマホがなかったから、手帳の大きさの地図を持っていた。メールやメッセンジャーはなく、名刺と入手資料、メモをアナログで整理した。
 
 これを、東京で2年半、北海道で7年半、合わせて10年間継続した。訪問3000社と300社のレポート作成である。その中から、年間2社程度、10年間で20社程度、投資委員会の詳細レポート(投資推薦書)を作成し、数億円づつ投資した。そこから、3年から8年くらいで、10社程度上場を支援し、IPOを体験することが出来た。私の25歳から35歳位までの10年間にVC活動の基礎が出来た、と言えるだろう。28歳の年(87年)に投資したアインファーマシーズが、35歳の年(94年)に上場し、現在売上3000億円規模、時価総額2700億円となっている。
 
 39歳の年に独立してNTVPを創業。個人で代表する個人型のVC投資組合を、日本ではじめて設立登記した(98年11月)。99年に、インフォテリアやDeNAに投資して、2005年DeNA上場(時価総額2600億円)、07年インフォテリア上場(アステリア時価総額150億円)。06年IPS、PWHDに投資して、13年PWHD上場(時価総額420億円)、18年IPS上場(時価総額160億円)、といった具合に、VC投資支援を進めてきた。

現場活動の強さは大学ゼミ活動から

 外交活動の基礎となったのが、大学のゼミ(高橋潤二郎ゼミ)活動で、社会科学研究の方法としてフィールドワークを重視していたことと、一応経済学を勉強していた素養が役に立ったように思われる。ミクロ経済、マクロ経済を勉強して仮説モデルを作ったうえで、大量にフィールドワークを実行して、データをまとめてレポートする、というのがお決まりの処理である。

 VC会社に就職する前に、83年シリコンバレーVC訪問を決行したのも、インスピレーションを得るために良かったと思う。80 年アップル社が上場して、スティーブジョブズが数百億円の若き資産家として、もてはやされていた。私がジャフコに入社した84年、マッキントッシュが発売された。その頃、ジョブズは29歳で、私は25歳だった。4歳しか違わないのに、スティーブジョブズは世界的著名人で大資産家になっていて、私は無名で貧乏な新人サラリーマンだったのだ。どんなゼロ状態の人間も、未来を想像してよりよい未来を強烈にイメージすることは重要だ。

 シリコンバレー訪問で、VCを訪ねてある人にWhat is impo rtant to become a venture capi -talist? と聞いたら、Human-understandingと答えてくれた。私が、大学でシェイクスピアを演出したと言ったら、その人が、That’s it ! と言ってくれたのも、重要な一瞬だった。

 私は81年10月六本木自由劇場で、テンペストを演出した。79年に二浪して慶應大学経済学部に入学したが、シェイクスピアに夢中になって、3年生に進学できず留年した年の演出だった。アップル社が上場してジョブズがPCビジネスの立ち上げで成功したころ、私は金もうけに全く縁のない、シェイクスピアに夢中だったのだ。確かに、シリコンバレーのキャピタリストが言った通り、スタートアップ活動は、ゼロからの人間活動が基本であることを、痛いほど気付かされた。

投資の振り返り

 私が体験した投資先の、財務推移を見てほしい。会社の発展には長い時間がかかるのだ。

展型的なゼロから発展モデル

 様々な過去の体験を、モデル化すると、以下のようになるだろう。(次のページ参照)

1 ポテンシャルある案件に、時価総額5~10億円で、初期投資A(持株比率10~30%)

2 1~5年で、商品化、事業計画、本格増資B

3 2~7年で、事業化、収益化、成長増資C

4 5~10年で成長モデル、組織化、上場IPO(時価総額20~500億円)

5 IPO後5~10年で、上場後の発展、市場ポジション獲得、事業規模5~100倍(時価総額100億~5兆円)

VCは偶然成功などしない

 一社に1~5億円ずつ投資するとして、平均2億円で20プロジェクトを走らせると、VCはハンズオンをする管理運用報酬が必要なので、2割は経費で見て取っておく必要があるから、一つの投資組合で、50億円程度は出資金が必要になる。業務執行を行うベンチャーキャピタリストと、複数のキャピタリストが投資委員会を組織する場合に、どんな組織にするかルールを設計しなければならない。まず、経験を持ったキャピタリストが何人活動するのか、示さなければならない。キャピタリストの仕事は、ベースは人間理解であり、人間としての起業に対する理解と、成功体験を持っていることが重要である。起業家がVCになるのが一番良いが、起業家は他人をサポートするのが苦手で、VCに向かない面がある。かと言ってVC組織で現場担当者として経験を積もうとすると、起業家が客体となって、なかなか起業家自身の事が理解しづらい、というジレンマのある職業である。だから、優秀な経験のあるキャピタリストが社会の中でなかなか育たない。

 VC業務執行組織を設立企画するに当たって、やったことのない人が犯しがちな失敗が、ベンチャー支援のコンサルタントやNPOの専門家が、アドバイザーで関係するとVC投資がうまく行くと勘違いをすることである。キャピタリストは、投資先全てが成功すると思って必死で投資をするのであって、成功するところは5~7年くらいで成功するが、それ以外は10年くらいもがき苦しんでも、なかなか成功しない。だから、一般の人たちが考えている常識である、たくさん投資しておくと偶然、確率的に、良い案件が上場して、回収される、というのはVC前線の現実ではない。VC投資は、宝くじではないのだ。

 成功が出来なくて長く苦しんでいる投資先については、基本的に取締役に就任しているわけだから、失敗のプロセスもハンズオンで長期に渡り、苦悩の時間を共有することになる。成功するプロジェクトを応援するエネルギーの、何倍もVCは成功しかねている途中の案件に労力を割いている。撤退するのは簡単だ。だが成功し損ねた案件を、どう前線支援するか、がVCという職業の優劣を分けると言っても過言ではない。だから、ファンドの業務執行組合員、つまりベンチャーキャピタリストに誰を指名するかで、VC投資組合の長期の成果とレピュテーションは、大きく変わってくるのだ。正しい創業経験のある数少ないキャピタリストを、いかに見つけて投資事業組合をやってもらうか、VCファンドの立ち上げは、ことのほか難しい仕事である。

 ただ、日本でも経験を積んだキャピタリストが育ちつつある。また、積んだ経験を、モデルにして表現し、他人に伝え、議論することが出来るようになって来た。大きな進歩である。日本でも、スタートアップのVC長期経験がようやく一巡してきたのだ。18年メルカリIPOの成功など、業界にプラスの影響を期待されている。これからが、日本のVC産業の本格的発展期になることを期待したい。

著者略歴

村口和孝《むらぐち かずたか》

日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代表 

 1958年徳島生まれ。慶應大学経済学部卒。84年ジャフコ入社。98年独立、日本初の独立個人投資事業有限責任投資事業組合設立。06年ふるさと納税提唱。07年慶應ビジネススクール非常勤講師。社会貢献活動で、青少年起業体験プログラムを、品川女子学院、JPX等で開催。投資先にDeNA、ジャパンケーブルキャスト、IPS、グラフ等がある。

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