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Vol.79【日の丸キャピタリスト風雲録】日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代表 村口和孝

会社名や組織名・役職・内容につきましては、取材当時のものです。

企業家倶楽部アーカイブ

新型コロナとの闘いに学ぶ-7 組織病の稟議応変(モタモタ)VS 起業の臨機応変(高速立ち上げ)

(企業家倶楽部2021年7月号掲載)

2021年6月ワクチン接種本格化?

 私は2月に新型コロナの収束を予測したが間違いだった。二回目の緊急事態宣言が3月21日終了とともに収束するはずが、変異株の出現もあって、第四波という感染拡大状況となり、また4月25日(大阪東京)、第三回緊急事態宣言が始まった。大阪東京では感染者があっという間に千人を超し、変異株は重症者数が多く、特に大阪がひどく、あっという間に医療がひっ迫した。東京オリンピック7月23日開会式まであと三か月しかない状況の中で、5月頃からようやく医療関係者と高齢者向けに日本でワクチン接種が本格化した。

 ただ、世界に目を転ずると、年明けから接種を始めたイギリス、アメリカをはじめ、ワクチン接種が国民の50%以上に進んだ国は年初から感染者数が右肩下がりで激減しており、両国では、すでにマスクなしで普段の生活が楽しめるように様々な規制が解除になっている。当然経済も本格的な回復基調にある。アメリカでは一億円のクジ引き付きのワクチン接種や、旅行者にもタダで接種する場所もあるらしい。日本は6月中旬時点でいまだに12%であり、世界でもメキシコやインドよりも接種が遅れた国に甘んじている。

 7月23日オリンピック開催を控えているにもかかわらず、6月時点で行政がオタオタしてワクチン接種が遅れ、国内で緊急事態の要請で政府が人流を抑えているという現在の状態を、世界の人々は、日本は大丈夫かという冷淡な目で見ているに違いない。それが証拠に、日本の株式が世界の株価の中で、今一つさえない。世界ではすでにコロナ禍は終了し、観光が回復しワクチンが余り始めていると言うのに、日本はまだワクチンを本格的に打ち始めたばかりの状態だと言うのだ。まるで夏休みの宿題を最終日に慌てている子供の頃の私ではないか。東京で住んでいる海外投資ファンドの在京アナリストたちは、日本はダメな国だと本社にレポートしているに違いない。

日本の臨機応変力はどうしてしまったのか?

 まず、なぜ日本では、需要供給のダイナミックで柔軟な臨機応変の調節がプロではない行政の官僚や役人たちをリーダーにして、ワクチン接種の最適化作業をしているのだろうか?スーパーでの買い物のみならず、経済活動全般の現場は、一面計画的組織的であると同時に、常に臨機応変な判断が重要だ。リーダーは、需要供給調整のプロに指名して、やらせるべきなのではないか?「お役所仕事」の日本語があるように、「官僚は内的な会議は得意(稟議応変)だが、外的な臨機応変のダイナミックな仕事が苦手」は日本では常識だ。その常識は今、どこに行ってしまったのか?

コロナ禍対応を振り返る

 まず、2020年4月頃、コロナ禍の初期にマスク需要が爆発し、供給が追い付かなくなったとき、当時の安倍政権は、マスクの小売価格が上昇して業者が儲けないように価格抑制し、高く売った業者を逮捕した。お陰でマスクの店頭価格は上がらなくなったが、日本のマスク製造業者が供給能力を上げるための設備投資が進まなくなってしまった(価格が上がれば投資が一挙に進んだだろうが)。設備投資による製造能力が増強されないため供給不足が解消されるのに数か月かかった。しかも解消されたのは設備を増強した中国製の安いマスクが大量に日本に輸入されたからだった。余計な市場介入をしたものだ。せっかく活躍できた日本の民間企業が、フレキシブルかつダイナミックに活動できなくなってしまったのだから。

 もともと感染症は保健所が司令塔だ。コロナ感染を、保健所が検査し、情報を集計し、感染経路を特定し、急激に増加するクラスターの濃厚接触者を隔離する。ただ保健所はそんなことを大量にやったことがなかったから、あっという間に事務所がパンクした上に、臨機応変な解決策が立てられなかった。結局司令塔の役割は、徐々に、政策を現場で調整し、医療に協力要請し、飲み屋の世界の休業要請を実行する都道府県知事に、移っていった。休業した飲み屋には、手当金が支払われ、手厚い貸し付けがされた。

 PCR検査機も不足して、検査体制の手配が後手後手となった。だから検査需要超過(検査供給不足)が常に生じ、いったい世の中にどれだけ感染者がいるのか、全員検査していないので感染者数が実態よりも少なくしか把握できていない危険性が常にあった。しかも、保健所では、手書きの情報をファックスであちこち送受信したために情報がリアルタイムでなく、かつ不正確だった。都道府県で集計が時々後から訂正されたりした。保健所所長は元医者も多く、経営知識が乏しい役所組織だから、稟議は好きだが、経営者のような臨機応変な経営力を期待する方が土台、無理だった。

 政府には専門家委員会が出来て、感染症のプロによる事態の把握とコロナ政策の検討がなされたが、権限と責任があいまいだった上に、当初は経済経営の専門家が不足していた。ただ徐々にコロナの実態が把握されて、三密の重要性など、メッセージが出された。

なぜ日本で医療がひっ迫するのか?

 政府が外注したコロナ感染の危険性をリアルタイムで警告する「スマホアプリ」は、普及しないどころか、数か月たってプログラムミスがありバグフィックスしなかったため、正常に機能していなかったことに、後から気が付き、厚生労働省が国民にお詫びをした。

 コロナ患者重傷者が、人工呼吸器付きで感染防止の緊急治療室を占拠すると、病院の医者や看護師のマンパワーを大量に使うだけでなく、対応した病院に一般病人が寄り付かなくなる。そういう事態に対して厚生労働省と都道府県や医師会がどう対処し補助するか、正に稟議対応しようとして臨機応変出来ずに行政の対応が遅れに遅れ、一年たってもコロナ用病床数を十二分に確保できていない。世界から見ると日本の医療水準は質的にも量的にも他国がうらやむ先進国であって、かつ世界の中で日本の「感染者数が相対的に少ない(世界は一日数万人、日本は1/10の数千人)にもかかわらず、医療体制がひっ迫する」と言う理解に苦しむ事態が発生し、しかも一年たっても医療サービス供給不足の事態を解消できなかった。

 ワクチンの国内開発製造は、遅れた領域であった上に、開発時間と予算がかかるために、開発プレイヤーを育ててこなかった。また役人が誰も安全性で責任を取りたくないため、日本では治験による医薬品承認に、そもそも5年以上超長期の時間がかかる。さらに国内感染者が少なく、サンプル数不足で治験が進まない。国内で開発製造できないなら世界からワクチン調達しないといけなかったが、政治で表から行っても話にならない場合が多く、ワクチン調達が遅れに遅れた。

英の臨機応変高速立ち上げに学ぶ

 まず、前トランプ政権が2000年春からワクチン対応でやったことは、OWS(オペレーション・ワープ・スピード)作戦だ。つまり通常の創薬ならワクチン開発、治験(第Ⅰ相・第Ⅱ相・第Ⅲ相)、承認、製造、配布、接種に5年以上かかるものを一年程度に同時並行で、かつ組織を超えて進め、五倍速で時間圧縮するという離れ業だ。リーダーにワクチン開発成功経験のある元グラクソのモンセフ・スラウイ氏の下に、有事の兵站の専門家である米軍の幹部(ギュスターブ・ペルナ陸軍大将)をCOOで任命して実行させた。なお、ワクチン申請でファイザーの株価が15%高となったのは、皮肉にも2020年11月大統領選投票日の一週間ほど後だった。(もしワクチン申請が半月早かったら、トランプ大統領のOWS 成功の功績が大宣伝されたはずで、再選があったかも知れないと私は思った。)英国では、同じく2000年春、首相直属のワクチン・タスクフォースを立ち上げて、ジョンソン首相が直接説得してリーダーに指名をしたのがケイト・ビンガム女史だ。彼女は英国のバイオ専門のベンチャーキャピタリストで、300近くあった世界のワクチン開発計画に、VC の段階投資手法を応用した。つまり「マイルストーン・ペイメント」(途中で見込みがなければ追加支払いをしない臨機応変手法)を行い、かつ30万人の治験ボランティアを集めた。結果ファイザー、モデルナ等のワクチン4億回分以上を英国は確保。さらに英国全土3100か所での接種人材が不足することが予測されたため、2000年10月には、ヒト用医薬品規制を改正し、厳正なオンライン審査の元、ボランティアを含む10万人の打ち手を確保した。12月にはワクチン承認し2001年1月9日にエリザベス女王とフィリップ殿下が一回目の接種を受けた。なお、電子化された行政が、スピードアップに貢献した。

 報道はされてないが、中国がイギリスとアメリカの動向をモニターしながら、ワクチン開発を同時に進めたことは想像に難くない。なぜなら、いずれの手法も1990年代にシリコンバレーで定式化されたスタートアップ経済の典型的な臨機プロジェクトの進め方の定番であって、2020年代中国が先進国の仲間入りをするためにアメリカからコピーして学んだ、成長スピードを加速度的に進める手法そのものだからだ。

スタートアップ経済(臨機応変)でオリンピック高速立ち上げを!

 21世紀は、毎日状況が激変する激動の大変化の時代である。20世紀の昭和の時代のやり方である、縦割り組織ルールによる計画オリエンテッドないわゆるPDCAを、数か月かけて、組織人が内部責任を回避しながら、ゆっくりじっくり稟議で回す時代ではない。対して21世紀に世界が目指している未知のフロンティアを開拓するスタートアップ経済は、そもそも不確実な情報不足の中で、臨機応変に(OODAと呼ぶ)歴史的実績達成を、結果的に短期間で目指す。これはむしろ日本人が好きな桶狭間の戦いのやり方で、明治維新や第二次世界大戦直後の経済成長の歴史的奇跡に、世界があこがれた日本のお家芸だった方法だ。

 目標を明確化し、方向性と使命感に基づいて、数日の短時間で情熱を持ったパートナーシップ構築を繰り返しながら、同時並行、仮組みで、組織を超え、権限を持った賢い個人の臨機応変リーダーが、途中の達成段階(マイルストーン)を評価しながら、壁を乗り切り、結果的に歴史的な事業成果達成を実現する。オリンピックを目前に行政主導ワクチン接種が、6月中旬ようやく民間主導となり、加速化し始めた。コロナ禍を振り返り、もう一度顔を洗って、臨機応変を定式化したスタートアップ経済を軸に、日本の未来を再構築しなおしてみないか?


■著者略歴 
日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合
代表 村口和孝《むらぐち かずたか》
 1958年徳島生まれ。慶應大学経済学部卒。84年ジャフコ入社。98年独立、日本初の独立個人投資事業有限責任投資事業組合設立。06年ふるさと納税提唱。07年慶應ビジネススクール非常勤講師。19年松田修一賞受賞。社会貢献活動で、青少年起業体験プログラムを、品川女子学院、JPX等で開催。投資先にDeNA、PTP、IPS、グラフ、電脳交通、APTO等がある。

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