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「獺祭」ニューヨークで跳ねる

~桜井会長NYに移住して陣頭指揮~

2023年3月8日、都内某所には華々しい顔ぶれが集まっていた。世界で最も名高い日本酒「獺祭」の蔵元である旭酒造が、本格的にアメリカに進出。ニューヨークのハイドパークに建設中の新たな酒蔵(以下NY蔵)が完成目前となった。その陣頭指揮を執るのは今年72歳の桜井博志会長だ。1週間後には現地に移住するという。その桜井会長を激励しようというのが、この日の趣旨である。同郷の漫画家 弘兼憲史氏も激励に駆けつけ、賑やかに始まった。

 

72歳でNYに移住する桜井博志会長

 

売上165億円を達成

獺祭の大きな暖簾を背に、フロアの中央に進み出た桜井博志会長と桜井一宏社長は、晴れやかな表情で決意を語った。

まず桜井一宏社長が、旭酒造のこれまでを振り返り、売上の推移について説明した。1990年に発売した獺祭は2002年にはNYにも輸出を開始。2014年頃から、売上が急激に伸び始め、2016年には売上100億円を突破した。そこでNY蔵の建設計画が始まったという。コロナ禍で落ち込んだが、2022年には165億円と過去最高の売上を達成した。この内70億円が海外市場というからまさにグローバル企業だ。それだけにNY蔵にかける意気込みは半端ない。

旭酒造の売上高推移

 

SAKE文化を創る

「日本の伝統文化を海外に発信していく。そのための前線基地となるのがNY蔵」と桜井社長。なぜニューヨークなのかとの問いには、世界中からいろんな人が集まり・出会って、新しい文化をつくり発信していくにはやはりニューヨーク。現地の人々と交流し、日本の獺祭に負けない「DASSAI BLUE」(獺祭ブルー」をつくり上げる。そして世界にSAKE文化を発信していきたい」と熱く語った。日本語の「酒文化」ではなく「SAKE文化」を創ると強調したところに、ただならぬ決意が見て取れる。


熱く語る桜井社長

 

 そういえば2011年ユニクロニューヨーク五番街の旗艦店のオープンに際し、柳井正会長兼社長は「ここが世界に向けての発信基地、世界に向けてのショウルーム」と宣言したことを思い出した。五番街の最高の立地を手に入れるために5年以上も待ったのだ。その祝杯に使われたのは、柳井会長の故郷、山口県の銘酒「獺祭」だった。その後のユニクロの快進撃は、皆の知るところだ。

日本の伝統産業である酒づくりを進化させ、本気で世界に挑もうというのだ。その戦いの舞台には、まさにニューヨークが相応しい。

 



私が言い出しっぺ

ところで獺祭といえば世界で最も名高い日本酒である。実際金額ベースでは、海外での売上は日本一を誇る。しかしここまでの道のりは険しかった。山口県の小さな酒蔵が世界に飛び出し、いくつもの試練を超えて栄光を勝ち取る。率いる桜井会長の武勇伝もつとに有名だ。

2002年NYに輸出を開始、日本酒市場を開拓するのにはどれだけ苦労を重ねたことか。今後も日本から輸出してもいいが、5年、10年先を考えたら現地で作るのがベター。そう考えた桜井会長は、2016年にはNY蔵をつくる計画を開始した。本来なら2019年に醸造を開始する予定だったが、コロナ禍で大幅に遅れ7年もかかった。投資額は30億円の予定が80億円に膨れ上がった。しかし止めるという考えは全く無かったという。

それだけに年齢には関係なく、自ら現地で陣頭指揮を執るというのは当然の選択であったろう。

 「現地には初代と2代目の工場長、主力社員ら3人を連れて行きますが、酒づくりは簡単ではない。環境も違えば水も違う、試行錯誤の連続になります。私はこれまで幾多の失敗を経験している。だから私が行くのが一番いいのです。何かあっても彼らには責任は取れないでしょう。言い出しっぺの私が行くのが一番適任なのです」と笑顔の桜井会長。

 

旭酒造の「NY蔵」(旭酒造提供)

 

酒米も当面は、日本産の山田錦を使うが、ゆくゆくはアメリカ産を使う予定で、既にアーカンソー州で栽培を始めているという。「やってみなければわからないが、それも我々にとってチャレンジ」と桜井会長。ワクワクが止まらない、少年のような素顔をのぞかせる。

 

世界最大の料理大学からの誘い

NY蔵をつくるきっかけとなったのは、世界最大の料理大学であるCIAからの誘いだったという。実際、NY蔵はマンハッタンから北にクルマで2時間ほどの、ハイドパーク    のCIAの目の前に建設している。シェフや料理業界の面からも世界に発信していくにはピッタリだ。

今は亡きフランス料理の巨匠ジョエル・ロブション氏が、「私の料理に一番合うのは獺祭」と語り、獺祭を愛用したことは有名だ。雑味のないすっきりした味わいがワインよりもフランス料理に合うというのだから興味深い。

今後CIAと一緒になっての獺祭と料理とのマッチングの発信も期待される。NY蔵でどんな「DASSAI BLUE」ができるのか楽しみだ。2023年9月には、ハイドパークでオープニングセレモニーを開催するという。

 そこまでどんなトライ&エラーを続けるのか。そしてかの地でどんなSAKE文化を創っていくのか。世界の発信基地ニューヨークで「DASSAI BLUE」がどこまで跳ねるのか楽しみだ。

 

お祝いに駆けつけた同郷の弘兼憲史氏とともに

  

「品質が安定し、獺祭ブルーがかの地に受け入れられて、ようやくここまできたなと言えるまで何年ぐらいかかりますか」との問いに、「5年ぐらいかな」と桜井会長。一宏社長は10年と答えた。

72歳の桜井会長には時間がないということであろう。難しいほど燃える。そんなチャレンジ精神の塊のような桜井親子に心からエールを贈りたい。

(副編集長 三浦千佳子)

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